by 
N. Hirakawa 

山下泰裕伝

私が小学6年生の夏、ラ・サール受験の準備をしていた頃、小学館発行の「小学六年生」に”天才柔道少年現る”という記事が載った。
「6年生の山下泰裕君が小学生柔道全国大会で2連勝した。山下君は高校生と1日3、4時間練習している」といった内容だったと思う。
その時は、ふ〜ん そんな小学生もいるんだな といった程度だった。

ラサール中学に入学してから、小学生の時、一時かじっていた柔道を始めることにした。
当時の柔道部には、松本(英彦)、川越、最勝寺、八重樫、松川、山本(ベラ)などなど
【名前が出てこなかった旧柔道部員、ごめん! 至急連絡してくれ】

永吉先生の指導のもと、どすんばたんと練習を始めた俺達は次第次第に強くなり、柔道大会に出場しても最初っから舐められるようなことはなくなっていった。鹿児島市内の大会では上位入賞するようにまでなっていたし、立ち技では強豪校をあわてさせることもしばしばだった。

中学3年の時のチームはメンバーも才能にあふれ、また皆よく稽古に励んだ。
特にその年の夏合宿は練習量も内容も充実していた。
鹿児島県警南署に出稽古にも行ったし、県大会1、2位の鴨池中、南中と合同練習もしたし、鹿経大と練習試合もやった。
そして、その夏の鹿児島県中学生柔道大会がやってきた。
25期の川越、最勝寺、松川、山本(ベラ)、平川、26期の西、川崎の中から、相手に応じて永吉先生が5人を選んで俺達は次々と勝ち上がっていった。
準々決勝で伊敷中学との厳しい戦いを制し、準決勝で優勝した鴨池中に破れはしたものの3位に入賞、九州大会出場のキップを手に入れた。
俺達の夏休みは8月15日の九州大会終了までお預けになり、再び強化合宿に入った。

そんなとき テレビのニュース特集で「全国大会3連勝をめざす籐園中学」があった。
熊本籐園中のエースあの山下泰裕は178cm 115kg、中1の時から公式戦128戦して128勝128の一本勝ちという脅威的戦績で、
「熊本の英雄、木村正彦の生まれ変わり(まだ生きてるのに)」
「昭和の姿三四郎」「50年に1人の天才」
と呼ばれ、注目を一身に集めていた。
山下は 綺麗なアナウンサーのお姉さんのインタビューをうけて、
「九州大会、全国大会でも全勝で優勝したい」
「将来はオリンピックで金メダルをとりたい」
と胸を張って答えていた。
籐園中の白石監督も、
「山下は高校生も圧倒する実力」
「熊本県警への出稽古も欠かさない」
などと話した。
この頃俺は、鹿児島県ナンバー1の鴨池中の永楽にも簡単にはやられなくなっていて、「なんだ 俺達の練習とそう変わらないじゃないか」なんて思っていた。

九州大会の会場は、今は福岡県庁になっている武徳会の武道館だ。
俺達は、大会前日福岡入りし、九大附属病院前の旅館に荷を解き、さっそく武徳会へ前日練習に向かった。
会場ではすでに多くのチームが練習を始めていて芋を洗うような混雑ぶりだった。
少し気後れしながら、俺達も柔軟運動、打ち込み、軽い掛かり稽古と汗を流したが、いったい一番強そうなところはどこだろう、籐園中学はいるだろうか、山下は来ているのだろうか、そんなことばかり考え、練習に身が入らなかった。
山本も、松川も、最勝寺もきっと同じ思いだった思う。

山本と並んで場内の椅子に腰掛けて汗を拭いていると、周りが急にざわつき始めた。
「山下だ、山下がいるぞ。」
そんな声が聞こえた。
が、練習している選手があまりに多く山下がどこにいるか判らない。
178cm、115kgなんて九州大会までくると特別大きいという程ではない。
山下のあの特徴のあるしゃくれた丸顔を捜していると、誰かが「あの足さばきを見ろよ」といっているのが聞こえた。
大きな体にも関わらず、すごいスピードとバランスで打ち込みをしているヤツがいた。
それが山下だった。
山下を見つけようと思ったら、上を見てもだめだ。足元を探せばすぐ判る。
一番足さばき、体さばきの綺麗な柔道をするヤツ そいつが山下だ。
山下は、稽古相手の帯に2人をぶら下げたまま左内股の打ち込みを始め、相手を軽々と宙に浮かせていた。
掛かり稽古を始めるとその内股と大内刈りは、崩しのタイミングとバランスの良さと、相手を追い込むスピードで本当に目に見えないほどだった。
あの世界選手権やオリンピックで見せた内股と大内刈りは、もうこの頃にはほぼ完成に近い状態だった。
周りで練習していたやつらも自然と場所を空け、練習を止めて見入っていた。
それは、王者に対する自然の作法のようにも思え、また山下の発するオーラに押されているようにも思えた。
こんなヤツがいるなんて世の中広いなぁ。
俺も、山本も、松川も、最勝寺も言葉はなくただただ圧倒されていた。

その夜、宿舎で夕食を終え、明日の試合のことも忘れて馬鹿話をしていると、監督会議を終えた永吉先生が宿舎に戻ってきた。
「明日の予選リーグの組み合わせが決まったぞ」
ざわつきが静まり、自然と先生の前に集まって対戦相手が書かれた紙をのぞき込んだ。
「相手は、宮崎の...中学、大分の...中学、そして、熊本の籐園中学だ」
永吉先生はそう言うと、少し笑ってみせた。
籐園中と戦う! それだけであとの2つの対戦相手の名前は吹っ飛んでしまった。
山下とやるんだ!
あの目にもとまらぬ内股で投げられている自分の姿が一瞬頭をかすめた。
何にもできず一方的に投げ捨てられるそんな自分。
よりによって、あの籐園中とあたるなんて...
「みんな喜べ。こんな機会は二度と無いぞ」永吉先生はそう言ってまた笑った。
そりゃそうだろう。全国大会3連覇をめざすチーム、しかも50年に1人の天才山下だ。

「明日のオーダーは先鋒 山本、次鋒 西、中堅 平川、副将 最勝寺、大将 松川だ。前半でポイントを稼いで、後半逃げ切るぞ」先生はそう続けた。
俺が大将じゃない。 山下とはあたらない。
半分ほっとしたような、半分がっかりしたような正直なところそんな気持ちだった。
松川の方をみると、色白の顔にパッと赤みがさしていた。
俺が最初頭に浮かべたシーンが、今松川の頭の中を駆けめぐっているんだろう。
「松川がんばれよ」
「いくら山下といっても、相手は中学生だ。思い切っていけば何とかなるさ」
みんな思ってもないことを口々に呟き、松川を励まそうとした。
昼間見た山下の柔道を思えば、あまり意味のない激励なのは誰もが知ってはいたけど..

松川は元々右利きだと思うが、いつの頃からか急に左組みにかえて受けが強くなり、変則的だが、なかなか負けない柔道をするようになった。右組みのときは、その素直で優しい性格も災いしてかなかなか勝てなかったのに、左組みにしてからしつこくて相手のいやがる柔道をするようになり、左からの引きずるような内股と出足払いでポイントを上げて試合に勝つようになっていた。

その時 松川が何を言ったのか余りよく覚えていない。
でも自分たちの相手だってとてつもなく強いのも忘れて、俺達は松川の事ばかり気にしていた。
その夜は暑苦しいのも手伝って、皆なかなか寝つけなかった。


まんじりともせずその夜が明けた。
体中の筋肉が火照っているのを感じていた。
のそのそと起き出して、洗面をすませ、朝食のテーブルに向かった。
今日は食欲があるなぁ〜。 おい、平川どっちがたくさん食えるか競争するか?
山本が、押し黙っているみんなの気持ちを察してか俺にわざと大きな声をかけてきた。
山本は右大外刈り、体落としのパワー柔道で県大会個人戦ベスト8に入った実力は勿論、その明るい性格はいつもチームに活気をあたえてきた。
緊張するチームの雰囲気を、俺と二人の馬鹿話が何回も救ってきた。
でも、その朝、俺は、ああそうだな。
と軽く笑い返しただけでいまいち乗っていかなかった。

荷物をまとめると、旅館のおじさんおばさんにお世話になった挨拶をして、会場の武徳会への道を歩いて行った。
じっとしているだけで汗ばむような朝から日差しの強い一日だった。

会場について、いつものように柔軟体操、打ち込みで軽く汗を流していると、鹿児島県大会で2位、3位となった鹿児島南中学、野間中学の連中がやってきた。
お互い頑張ろうぜ
籐園中のやつらに一発かましてやってくれ
まず目指すは予選リーグ突破だ。
県大会1位の鴨池中は、昨年全国大会2位の雪辱を期して九州大会は欠場し、全国大会での打倒籐園中、優勝を目指していた。

選手入場!
俺達は列になって道場中央正面に向かい整列した。
周りを見渡してみると、長髪はラ・サールだけ(といっても坊主にしていないだけ)
いつものことだけど柔道会場には何となく不釣り合いなチームだった。
観客の方から「ラ・サールだって。 柔道もやるんだな。 何だかひ弱だなぁ」
といった声も聞こえてきた。
カメラマンがたくさんいた。テレビ中継もやるみたいだ。
でもみんなの視線は山下一人に向けられているように感じられた。
選手宣誓!
山下が小走りに出てきて右手を挙げた。フラッシュがあちこちで焚かれた。
宣誓!われわれ選手一同は....
マイクが壊れちまうほどの大声だった。
これだけで圧倒されてしまう奴も多いんだろうな

最初の試合で宮崎県大会個人戦で優勝した高鍋中学の中堅とお互い技を出し合って引き分けた俺は、その日すこぶる調子がいいのを感じていた。
続く2試合目、右の足払いから大内刈り、追い込んでおいて右の跳ね腰で一本を取った。
技は切れている。体調も良い。気力も充実している。
しかし、ラ・サール中学は苦戦していた。
九州大会までくると相手も強い。なかなか勝たせてくれない。
なかなか勝ち星が挙げられない。ポイントがとれない上に、とっても逃げ切れない。
そこまで1勝1敗、最後の相手は籐園中学だ。予選リーグ通過は無理になっていた。
会場の隅で俺たちは円陣を組んだ。
この試合が最後だ これまで練習してきたものをぶつけようぜ。
気合い負けするんじゃないぞ!
俺は力を込めて叫んだ。
おうっ! いこうぜ! やってやろうぜ!
皆口々に声を掛け合い、互いに目の中の闘志を確認しあった。

試合場に入場し、籐園中のメンバーと始めの礼のため向き合った。
さすがに山下はでかい。体以上に大きく見えた。
俺の相手はと見ると、168cm、85kgといったところだろうか、ずんぐりむっくりした腰の重そうな奴だった。
一方自分は174cm、80kg、右の奥襟が欲しい俺にとっては都合の良さそうな相手だった
礼が終わり、控えに戻るとき、先鋒の山本の尻を一発叩いた。
頼むゾ山本!
山本は大きく頷いて足を踏みならして気合いを入れ、開始線の前に一歩踏み出した。
始め!
山本は右前襟をがっちりつかんだ。左引き手もつかむとす〜っと右に流れていった。
相手が先に右足車にきた。体を崩しながら左から掬おうとする山本。
しかし体が一瞬早く落ちる。場外だ。
相手に押され始めると、当時少し伸ばしていた山本の髪が大きく揺れるのが常だった。
今日の山本は、大きくもない相手に引きずり回され、髪が上下左右に揺れている。
しかし山本は闘志を見せて、相手に大外刈りを放っていった。
相手は受けも強い。体勢を崩すことなく、攻め込む山本を引き寄せて右背負い投げだ。
山本が背中から落ちる。
一本!
すまんっ
山本は息を切らせながら悔しそうに控え席に戻ってきた。

次鋒は西豪彦、右の体落としと足払いが得意、チーム1の巨体95kgを誇っていた。
しかし籐園中の次鋒は180cm、120kgはあろうかという体で左組み、西とは喧嘩四つだ。
西は右手で襟を取ると、左の引き手を嫌い、右半身になって足払いを出した。
相手は、さっと左足をあげて足払いを避けると、すすっと体を寄せてきた。
大きいのによく訓練された軽い動きだ。
そのまま、右引き手を取ると気合いもろとも、力任せに左足車を仕掛けてきた。
引き手を切って必死に逃げようとする西。
しかし西の巨体はゆっくりと落ちていった。
もう2―0だ。

平川さん頼みますよ! 平川頼むぞ!
後輩やみなの声を背に俺は立ち上がり、相手を睨み据えながら中央に進み出た。
よしっ 一発喰ってやる!
全身の毛穴という毛穴が開き、精気がほとばしるのを感じながら相手と向き合った。
今日は調子がいい。慌てなければいける。
始めの合図とともに、軽く右に廻りながら、右襟を引いた。相手も右組み、相四つだ。
左引き手を引いた途端、崩しも何もなくいきなり背負い投げが飛んできた。
ドロ〜ンとした そうスピードの無い背負いだ。
ただ、腰を相手の腰の下ではなく、股の下に入れようとする低い背負い投げだった。
右にステップを踏んでかわす。 と、続けて2発目の右背負い投げだ。
3発、4発、飽きもせずに同じ技が息も吐かせず飛んでくる。
そして、少しずつスピードに変化を付けてきた。
さすがに避けられなくなって、左膝で相手を押しつぶそうとすると右膝が腰に乗った。
しまった と思った瞬間、転がっていた。
技あり!
押さえ込みに来ようとする相手を、上体を引きつけながら、膝を蹴って防いでいると、
そいつは柔道を知ってるゾ ゆっくりいけ
という声が籐園中の控え席から飛んできた。
くそっ 完全になめられてる
そう思ったら、怒りで顔が真っ赤になるのが自分で分かった。
寝技から立ち上がると、おうぅと組み合い
今度は自分から崩しもなく右大外刈りを繰り出した。
仕掛け、崩しのない技なんて大して効果がないのは分かっていた。
相手はかまわずにまた背負い投げを続けてくる。
攻められ続けるとこちらから仕掛けるチャンスが無くなっていく。攻撃は最大の防御だ。
籐園中学の柔道はこんなにも自分たちと違うものだろうかと思った。
そう思うと気後れしてきてなおさら技が出ない、わずかのタイミング掛け遅れる。
次第に受け疲れしてきて、少し腰が引けてきた。そこに又、背負い投げ。
技ありは取られなかったものの又転がってしまった。
今度は、ポジションが悪い。横四方固めにがっちり固められた。
押さえ込み!
必死に逃げようと、海老になったり、ブリッジをしたりしてもがいた。
山本、西、松川が必死に檄を飛ばしていた。
副将の最勝寺は顔をこわばらせたまま、ゆっくり立ち上がろうとしていた。
反転すると、籐園中の控え席が見えた。
山下が悠然とこちらを見ていた。監督の白石先生も腕組みしたまま動かない。
常勝チームの姿がそこにはあった。
技あり、併せて一本!
何もできないまま負けてしまった 
チームのムードも盛り上げられなかった。申し訳ない
ラ・サールはこのまま、抵抗できずなし崩しに全敗してしまうんだろうか。
不安が次々とよぎった。

副将の最勝寺は腕力が強く、受けも強いのに、やる気があるんだか無いんだか判らない柔道がよく皆を心配させていた。
技を掛けるときには声を出していけ!
永吉先生からいつもそういう指導を受けるのが最勝寺だった。
しかし最勝寺は闘志を見せた。声を出して、相手の繰り出す技にぶつかっていった。
開始2分、相手の背負い投げを体をぶつけてつぶした最勝寺が押さえ込みに入った。
俄然、盛り上がるラ・サールの控え席。皆声を枯らして檄を飛ばした。
さすがに籐園中も慌ててはいた。
が、よく練習を積んでいる籐園中の寝技は、ゆっくりと最勝寺の袈裟固めをはずすと、寝技勝負に持ち込んだ。
もがき嫌がる最勝寺の足を絡め、横四方固めに固めた。
俺達もあきらめたそのとき、最勝寺はさらにがんばりを見せ、横四方を振りほどいた。
残り時間は後、20秒。
このまま引き分けだ!
そう思った瞬間、相手の意地の背負い投げだ。
一本、それまで
最勝寺は立ち上がるのもきつそうに起きあがり、礼をすると、何も言わずもつれる膝に手を当てて帰ってきた。

最勝寺のがんばりは松川にも伝わっていた。
いつもはおとなしい松川が始めの合図とともに山下に向かって大きく胸を張り、両手を天高くあげて睨み据えると、
さあ来いっ!きええ〜〜っ
裂帛の気合いを入れた。
意に介せず歩み寄ろうとする山下の懐にいきなり飛び込み、その左襟をつかむと、右隅の副審の方に向かってつ〜っと走った。
えいっ!
松川は一番得意な左内股を繰り出した。
よし! いいぞ! 
俺達が腰を浮かした瞬間、山下の右足払い一閃、
松川の体は宙に浮き、もんどりうって背中から落ちた。
一本! それまで!
開始5秒の出来事だった。
会場からは押し殺したような笑い声も聞こえた。
松川は仰向けになった体をうつ伏せに戻し、右手で悔しそうに畳を叩いた。
そして起きあがるとき俺達の方を見てちょっと照れ笑いをした。
俺達も何となく力無く笑って見せた。
山下はこれまでも同じシーンが何百とあったのだろう、顔色一つ変えず、いつものように胸を張って、開始線の方に戻っていった。
勝ち!
主審が山下の方に手を挙げ、二人は礼を交わした。
俺達ものろのろと開始線に整列して、籐園中と終わりの礼を交わした。
5―0かぁ。
重たい現実が俺達にのしかかっていた。
会場の隅で永吉先生の前に整列して、皆うなだれながら先生の言葉を待っていた。

よくやった。悪くはなかったぞ。
先生は笑いながらそう言った。
相手は日本一だ。こういう柔道もある。

決勝トーナメントに入ってからも、籐園中も山下も勝ち続けた。
山下は前日の練習から想像していたよりもはるかに強かった。
山下の掛ける技には全く無駄がなかった。
大技でも小技でもほとんど一発で一本をとっていった。
そして技を掛けた後、自分の体を相手に預けて上から潰すような柔道をしなかった。
それは崩し、スピード、バランスが高いレベルで一体化した柔道を物語っていた。
さらに相手の心理状態まで見抜いたような先を見た動きは抜群の安定感を生み、加えて、激しい闘志が山下には誰も勝てないと納得させていた。
松川だけでなく、準決勝まで10秒とかかる試合はなかった。
籐園中学は、大将の山下まで引き分けか1人負けで十分という柔道を心がけ、決して深追いをしてポイントを失うような試合はしなかった。
準決勝の鹿児島南中は大将戦まで持ち込み、大将の西が攻め続け粘りに粘ったが、開始60秒山下の狙い済ました内股に沈んだ。
決勝は籐園中の永遠のライバル熊本天明中だった。
山下さえいなければ、天明中も全国制覇の可能性があったような強豪だったのに、俺は大鵬の存在に押され続けた柏戸のことを何となく思った。
決勝は山下までは0―0だった。
天明中の大将は必死に攻めた。
山下に攻める間を与えたくないたくないかのように攻め続けた。
それでも、開始50秒一瞬の技の間を突いて山下の内股が放たれた。

「秒の殺し屋」だな
俺がそう言うと、柔道一直線のヒーローと山下の見かけがあまりにかけ離れていることに周りが笑った。
この男に勝てる人間がいるなんて誰にも考えられなかった。

俺達ラ・サール柔道部の夏は終わり、その夏、全国大会でも籐園中は優勝し、山下は全試合一本勝ちを続けた。



後に俺は、松川が東大のアメラグの飲み会で、酔うといつも山下との試合の話をするという噂を聞いた。

柔道部の記録には
 山下 開始5秒 右足払い 一本  松川
としか記録されていないかもしれない。

でも松川、
俺は今でもあの時、山下に向かって胸を張り、気合いを入れたあの勇姿を思い出すよ。
そして、おまえは逃げることなく、自分の一番の得意技を勇気を持って掛けたんだ。
オリンピック金メダリストと戦った唯一のラ・サール柔道部OB松川は、こうして永遠に語り継がれるだろう。


おわり