==== PART 4の最初です ==== 2005.9.12 鹿児島ラ・サール高校25期の三毛紀夫氏(大阪支部)が、「地域医療研究会ML」という、同6期の服部行麗氏(谷山で内科クリニック開業)が主催する全国規模の医療系MLに投稿した、ラサールのブラザーハウスの建物の由来に関するメールを、転送用に21期の後藤正道がまとめたもの。 lskghqへの転送については、三毛紀夫氏の了解済。 Date: Sun, 24 Jul 2005 13:50:46 +0900 From: "mike norio BB" Subject: [LOCALMTRET:045797] 建築探偵 鹿児島谷山もの その42 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その42 みけです。 翔ぶが如し というサブタイルで 書きたくてうずうずしているのですが、 ちょっと夏ばてです。 いったん 執筆は休憩。 その分、いちど、みなさん 見てみたいという 松岡少年の写真、、 それに 開校時のブラザーハウスの写真を 某サイトにアップしてもらいました。 これらの写真は 生前、松爺が ご自分で編集した卒後30周年記念誌から 奥様のご了解を得て、わたしが デジカメで撮影したものです。 http://www.aikoku-u.ac.jp/ls-25/mike/DSC00149.JPG これが、おそらく1950年の開校時の 1期生( すべて 高校2年のときに 編入してきた)の集合写真です。 前列中央が マルセルプティ校長、その横が 井畔初代教頭。 そして、生徒たちの服装はばらばら、、これは 編入で 1期生を集めたという 事実に関連すると思われます。 松岡少年は 後列むかって一番右の 童顔の少年。 おなじ服装が 3人ほどいます。 きっとそれが 当時の 鶴丸高校の学生服だったと思われます。 また お気づきかもしれませんが、 1.生徒は全員 裸足。>>どれだけ、戦争直後で困窮しいていたか、、    それは 松岡青年が 某日、テレビ出演するときに メモを残していますが    困窮の中にやってきた アメリカではない外国人ブラザーたちへの    ある種の共鳴とでもいう表現に読み取れました。 2.この写真の背景が いまも残る ブラザーハウスの玄関です。 http://www.aikoku-u.ac.jp/ls-25/mike/DSC00153.JPG  これも松爺が編集した 卒後30周年アルバムから 拝借。  開校当時の ブラザーハウスです。  松に囲まれている、  左側に木造の2階建て部分、、僕らの頃は 2階が図書室  1階が音楽室、  そして、この前のところに ゴザひいて、  1回目の 開校式というか、入学式が行われました。 右側の煉瓦造りにコンクリート外装の 三角お屋根は もう 壊されて、 今は 聖堂になっています。 もう 30年以上前の話です。 ものすごく 中は蒸し暑く 改築・改装には誰も反対しなかったとか、、 そして、いまだに、この写真の部分以外の 写真の 右奥側の部分、 写っていませんが、その部分は きちんと残っています。 75年前に 建てられた 一大カトリックモールだったのが このブラザーハウスで、建てたのは カナダ系のフランシスコ会、 そして、建ててからおおよそ20年後に買いとったのが カナダ系のラ・サール会というのが この建物の オーナーの変遷です。 では。 Date: Sun, 24 Jul 2005 18:14:27 +0900 From: "mike norio BB" Subject: [LOCALMTRET:045798] 建築探偵 鹿児島谷山もの その43 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その43 みけです。 「チビ」 あのブラザーハウスには イヌがいた。いや いたらしい。。 在校時には そのようなイヌの存在は いちおう 知っているから また 違う題名で投稿しますが、 今回のイヌは 「チビ」 ところかわって 静岡県の秋葉山、ここは 火事の厄よけの お参りにいく 有名な古刹で、 どうも、チビは そのような役割を ブラザーハウスにすみ ながら、やっていたらしい。 いつのころのイヌかは わからない。 でも、とても賢いイヌで、 校長が朝礼するときは 必ず 横に座り、 ブラザーハウスの中の公用語であった フランス語以外は 理解できないという イヌだった。 そして、同窓生なら、母校がどれくらい火事が多かったかは、 ご存じとおもう。 わたしが在校した 4年間でも、3回火事があった。 下宿でFMの鹿児島のNHKを夕方聞いていたら、 突然、臨時ニュースですと アナウンスが入り 「いま ラ・サール学園が燃えています」と いうので、夕方、見に行った覚えがあるし、 期末テストの日に なぜか校舎が焼けたとか、 もう ボクは 洒落か? と思ったのは 朝 学校めざして 歩いていたら、当時の谷山は 遮蔽物がなく、なんか 煙がもうもうと上がるのが見えた。 当日は 防火訓練の日とは聞いていたので、 火事が多い学校なので、 徹底した訓練でもやるために なんかもう 用意しているのか? とおもって 歩いていったら、裏門には 多数の消防車がとまり 裏門から えんえんと 本物の ホースが無数に 構内へと むかっている。 裏門には 地理のK先生がたっており、 三毛 「先生 こんなところで何やってんの?」 k先生 「火事なんだよ、火事。。」 三毛 「だって 今日は訓練の日でしょう」 k先生 「本物の火事だって」 と言われて、ええ?と思いながら、ホースをまたぎまくって 自分の教室にいったら 教室の窓から、本当に 校内を 防火服着た消防士さんが歩き回っているのが見えた。 その日は 確か、防火訓練は予定されていたが、中止になったと おもう。。(記憶が定かではない) とにかく 火事が多かった。 (昭和29年の 木造のブラザーハウスも 焼失 とちゃんと 記録には書かれてい る) でええ、、、 この「チビ」「というイヌ、 とても賢く、生きているときは、校内のそこら中の火を消して廻ったらしい。 なぜ、火があったのかは 賢いボクは聞かなかったが、 元校長は 「あのイヌが死んでから 火事ばっかりだったあ」と あの独特の口調で 語られていた。 チビって フランス語なのか、日本語なのか知らないが、 そういうお話を聞いてきた。 きっと 同窓生のアルバムの どこかの卒業年のところに そのチビが載っているだろう。・ きっと チビは 秋葉山からの使い? いや、カトリックだから、 何か、火事に関係する聖人の使いだったのかもしれない。 イヌの話、もう1話つづく、、 Date: Sun, 24 Jul 2005 18:50:27 +0900 From: "mike norio BB" Subject: [LOCALMTRET:045800] 建築探偵 鹿児島谷山もの その44 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その44 みけです。 ・・・・  「Q」  ・・・・ 大文字のQから始まるイヌの話。 と書けば、近年公開された、クイールという盲導犬の映画が みなさん 思い出されるでしょう。 Quirr かな、、あまりなじみのない単語 それが Qの大文字から 始まる ので、いちおう調べたら、羽根とか羽根ペンの硬い部分とか 言う意味らしい。 盲導犬は生まれた順番に アルファベットで名前をつけるとか、その映画では 言われていた。 クイールは Qから始まる 名前になる運命だったらしい。で、Qから 始まる名前になったと映画は語っていた。 確かに 在米したときに いろいろな文章を手書きでも書いたが Qの大文字から始まるというのは ほとんど 記憶にない。 いま ぱっと浮かび上がるにしても、 quater queen quick quack quit quant などしかなく、わざわざ 大文字で書いたのは 船の名前の QEとか アメフトのQBくらいしか 思い出せない。 それだけ 珍しい Qから始まる名前のイヌが 在校時 ブラザーハウスに 住んでいた。 記憶がはっきりしないのだが、 名前だけは よく覚えている QUINTRIX といい 当時流行した テレビCMからおそらく命名されたとおもう。 意味は 調べたが、辞書には載っておらず、不明である。 このイヌ、Broグレゴリーの愛犬で、 校内を自由に散歩していた、 校舎の中にも 授業中にときおり入ってきて、みんなで QUINTRIX QUINTRIXといって かわいがった。 このイヌが一躍 有名になったのは 入試のときである。 記憶が正確なら 確か昭和51年の2月の ラ・サール高校の入試の英語に このイヌの 話が 英文解釈として 長文読解で出てくる。 Quintrixと英文には書かれ、拾われて、ブラザーハウスで育てられ みんなの人気者になった、、英文は確か 途中から heで受けていたように 覚えている、♂なんだろう。 入学試験を受けた人たちは さぞかし 驚いただろう。 なにせ、Qから始まる固有名詞が 入試にでてくる、 それも、イヌの名前で、ブラザーハウスに住んでいることになっている。 実際にそうだった。 当時の日本の英語教育でも、Qから始める固有名詞が 英文読解に でてくるなんてのは さぞかし 珍奇なことだったにちがいない。 でも、在校生には この入試問題を作ったのが Bro グレゴリーであるのは 一目瞭然。それくらい Bro グレゴリーの英語は 信頼されていた。 後に聞いたが、このブラザーには 親戚にはアメリカ国籍が多く ケベックから来たブラザーの中では 英語がもっとも達者だったらしい。 幸いにも このブラザーに 私は英語を教えてもらい、今でも 感謝している。 だが、 ものすごく気の毒なことに サハリン沖で 帰天された。 今から 22年くらい前の暑い暑い夏だったように覚えている。 そして、聞いてみた。Quintrixは どうなったのですか? 「オーラス先生が とにかく イヌ嫌いでねええ、、  でも、グレゴリー先生が あのイヌをかわいがって   ブラザーハウスの中の自分の部屋のベッドの中で   寝かしていたものだから、 グレゴリー先生が長期休暇のときに    保健所にひきとってもらったはずだよ」 と聞いた。ただ、今から思えば、上記の文章を 話したブラザーは その当時、海外に研修にいっており、 オーラス元校長も 帰天されている。 それ以上、聞けなかった。 先日、同窓生から、三毛がそこまで調べるなら、いろいろと写真を送るから、 といって 母校の物故者の 写真リストを 送ってもらった。 その中には多くの恩師がいるのだが、Quintrixも チビも いなかった。 今日はここまで、、 Date: Sun, 11 Sep 2005 12:00:48 +0900 From: Masamichi Goto Subject: [LOCALMTRET:046218] 建築探偵 鹿児島谷山もの その45 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) 後藤正道@鹿児島です。 何故か、わたくしめからの「建築探偵 鹿児島谷山もの その45」ですが、 三毛先生から「代理投稿して下さい。」とのお願いです。 三毛さん、長い人生の中には「休息」も必要です。 僕も、10年ほど前に過労でダウンしたことがありますが、その時に充分に休 むことができたので、今は元気です。 このシリーズは、あせらずにゆっくり進めて下さいね。 ======以下、三毛メールをそのまま貼り付け====== 三毛です、 例のシリーズ ブレインの後藤先生に 託しました。 代理の投稿をお許しください。 Subject: 建築探偵シリーズ 鹿児島たにやまもの その○○ しばらく 病気で休んでいました。 だから 通し番号をわすれてしまった 多分 その40といくつかになるとおもう、 かつて お告げの姉妹フランシスコ会のシスターの話を そのいくつかで 投稿した のを 覚えておられるだろうか、 9月初旬、そのシスターを尋ねて 女子の修道会の施設に 訪問インタビューしてき た。 内容はフランシスコ会のガブリエル神父@ケベック人らしい と 例の孤児院の お 化け屋敷さらに谷山とフランシスコ会や その女子修道会の関連などである。 これまで取材した数々の 資料を持参し、シスターの前に行くのであるから、身なり をととのえ 夜 道に迷いながら タクシーと徒歩で いった。ちょっとわかりにくいところで電 話したら、 闇夜にシスターは 修道服を着て 目立つように道にたち お迎えしてくれた。 これはきっと良いことがあるとおもい いろいろと質問した。 1.谷山のこと    どうもその修道会の発祥の地が鹿児島で 谷山という言葉が自動的にでたらしい が、当時、一緒に働いていたシスターは92歳でまだ元気で東京にいるらしい。その 人なら記憶に残っているかもしれないといわれたが、なにせ私の質問は 質問を受け るシスターの生まれたころの話ばかりで、とにかく驚いておられた。 2.ガブリエル神父  この神父はフランス語を話すカナダ人で どうも 谷山に縁があるらしい ラ・ サール会のある修道士に聞けば懐かしそうに生前は谷山のブラザーハウスにきていた そうだ。そのときか 東京の修道院での記念写真かはわからないが、偶然 手に入れ たので それも印刷してもっていった。 そうするとそのシスターは 間違いありま せん。といわれ まわりのラ・サール会の修道士の修道服との違いを指摘された。 端正な顔立ちで、信仰あつく 信者はとても 尊敬していたなど数々のエピソードが のこっている もう すでに帰天されているが ブラザーハウスと縁が深いフランシスコ会神父に違 いない。 3 修道服  ラ・サールの修道服は 紐はせず、襟に独特のカラーがつく、ひげは通常はやさな い、 その一方で フランシスコ会のは 紐を腰にして 結構ルーズな しかも厚めの服装 で長袖にかならず 独特の帽子という姿で 襟にカラーはない。ひげは あごにはやすのが なぜか当た り前のようだったらしい。 だから故平修士の本の写真に載っている多くのフランシスコ会の修道士たちの服は僕 の目からは まったく 別物にみえたのは 仕方ないことなのである。 4.お化け屋敷  ガブリエル神父は 鹿児島で 女子の フランシスコ会系修道会を組織し 孤児院 をしていた。すごい活動だったようだった。市内を放浪する孤児を 木造の施設に収 容し 一所懸命にシスターたちと世話をしていたそうだ。 そのお化け屋敷は いまの鹿児島の市内の結構中心部にあり 最終的には新屋敷町に あった。 僕は谷山の何かの施設で木造で一緒なのかとおもったが、シスターがみせ てくれた追悼誌の写真には 2階建てで結構立派な木造だった。戦後買収した 木造 のブラザーハウスは 1階建てなので、この点でも異なった。やはり 谷山はゆかり の地で活動の場でないこともいろいろな資料をみせてもらってわかった。 とにかく 愛されたのが ガブリエル神父で どうも想像するに 同じケベックなの である。 5.鹿児島とフランシスコ会  戦前は 谷山にフランシスコ会の 一大拠点があり、宣教活動をしていたが、激し い迫害が 奄美鹿児島であり、おそらく そのために 最後のミサをして 引き上げ たらしい。年月日不明、おそらく 昭和の8年か? 戦後はいっさい ケベックのフランシスコ会は 鹿児島にも奄美にも関与しなくな り、いまは鹿児島はどこの修道会なのか僕ですらしらないし、なぜ フランシスコ会 がもどってこなかったかが不思議でその点も聞いたが、漠然としなかった。不思議だ  あれだけの偉業が わけわからず評価されず 封印されている。そして そのフラ ンシスコ会系の女子修道会は東京の大田区に本部をおき各地でいまも 幼児の世話を している。日本人シスターばかりだが、ガブリエル神父の精神愛情を大切にしている と感じた。 5のつづき  どうしてそのような歴史のある 谷山に戦後 、まもなく ラ・サールが 入って きたかは本当に皮肉とも言えるし 天使のいたずらかもしれないし、数奇な運命とおもう、それを もう75年も見てき たのが あのブラザーハウスなんです。 シスターとは 長時間話して 最後は過分なお礼を言われ 大変心地のよさを感じて  闇夜に僕は消えていった。 おそらくシスターの就寝時間をかなりすぎているはず だが、三毛せんせいは 面白い方ですねえといわれ 僕が非信者とつげると十字架きらずに 最後は 聖職者なのに合掌してくれた、意外 だったが、とてもうれしかった。もちろん、感謝いっぱいで 今度 何かお困りでし たら、医師として 何かお役にたてるなら 喜んで います。と携帯番号を伝えた。 お礼に何かのお役に立ちたいと 思う夜だった。 ではでは。 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その46 Date: Sun, 11 Sep 2005 13:54:53 +0900 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その46 > 三毛さん、長い人生の中には「休息」も必要です。 > 僕も、10年ほど前に過労でダウンしたことがありますが、その時に充分に休 > むことができたので、今は元気です。 > このシリーズは、あせらずにゆっくり進めて下さいね。 三毛です後藤先生 感謝しています、 今回のダウンも 同窓生やら ケベック系の修道会卒のいろんな人に助けられ なんとか復帰しましたが、ボクには数奇な運命があるらしく、復帰してから、 ものすごく 騒ぎが多く、ストレスフルなんですが、いまは持ちこたえています。 さて、今回はその46 実は 8月の7日 1期生の松岡氏の偉業を乗り越えようと して 大阪神戸名古屋四国PTAの合同懇親会で PTA初の液晶プロジェクターを使った講演を してきました。 その直後にダウンしたのですが、それ自体はストレスになっていません。 そこで聞いたいろいろな話をご披露します。 母校はずいぶん変わってしまった。 でも伝統や誇りは残ってほしい そして 教育の修道会だから、早いうちと 親たち を安心させるような講演をしたい。 方法論は くやしながら 松岡氏の方法とまねたというか そっくりだった。また  生前の手書きメモがとても役にたった あの人 いろんなことマメでしたが、要点を押さえるのもすごかった。それを解読し たら 3分の1世紀たっても使えたわけです。 1.志願と自腹  33年前ボクが編入したころ 夏場にPTAがあるという  鹿児島の学校なのに 大阪でPTAがあり、実に妙なシステムだった 母は不安げに参加したら、当時は 少人数ですべて自腹で松岡氏が世話をしていた、 学校から 教師がきて説明、母たちは最後に教師と 松岡氏を取り囲んで昭和のスタ イルで 記念写真と取っていた、偶然手に入り、もちろん これだ!! とおもい 参考にし た、 母はとにかくすごい卒業生がいると松岡氏のことを ほめあげて ああいうええ人が いるのなら 鹿児島までいかしたかいがあったと 感動していた。  今母校は凋落の一途である、PTAも大変らしいと聞くが、それを持ちこたえるには  33年前に 松岡氏がやったようなことを志願していけばいいだろうと思った。 ただし すべて自腹で破格のことをしていたらしい。 これだけは お金に余裕のないボクには真似はできないが、ここは清水の舞台と 割り切り、液晶プロジェクターと 講演用のノートPC 自腹と決め込み それに 未亡人にたのみこんで延長接続ケーブルを 借りました これだと きっと帰天か 成仏した松岡氏も縁があり、よろこぶことであろうと おもい 朝早くから行ってセットアップして PTAの母親たちには迷惑かけず 自分で準備、あとはおしっこと おトイレのくりかえしでキンチョウ状態でした。 さて、ちょっと話がかわって 松岡氏の自慢話、 数年前母校の創立50周年記念大会で 「ワシひとりが PCで講演したんや どや、、ええもんやろ三毛ちゃん」と聞かされていました。 とはいえ、同窓会の裏の情報では 巨大なホールに 松岡氏の要求通りの プロジェクターを用意して投影するのは裏方必死だったようです。 というわけで 数年後の三毛は ちゃんと生前の約束どおり 「乗り越えます」 といって 「ええよ」とおそらく 筆ももてないなか 自分でたったわずかに 打ち込んだ メールが ようやく乗り越えようとしたことに 感激しました。 この回 長そうなので この辺で Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 Date: Sun, 11 Sep 2005 14:45:48 +0900 Subject: Re: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 ブルースブラザース 三毛です、 さきほどのつづき、 & 某同窓会系のMLに投稿し 相手方に転載はOKと了解えているものを 断続的に貼り付けます、 件名の ブルースブラザーズはご存知だろうか、 シカゴを舞台に 孤児院出身の とんでもないコンビが凋落する 孤児院の負債をな んとかするために くりひろげる なんともいえないノリの映画である、 もうスラ ングだらけのアメリカのシカゴの映画。 黒い帽子に 黒のサングラスに のっぽと  でぶのコンビといえばなんとなくわかるであろうか、 いま母校、ブラザーハウス その中に暮らすブラザーたち そして 学校そのものが  僕らのころの良さがなくなり このままでは ほっておけない、 だから、この 際、 ブルースブラザースの ラ・サール版をしようと企んでいる。 もちろん 協 力してくれるのなら、 同窓生でも誰でもwelcomeである。 2から始まるはず、 校長の嘆願  大変な時代になった 校長が懇親会でいうには昨今 夜どころか深夜に長時間の電 話をされるご父兄がいるらしく とにかく 私に仕事をさせてください と 気の毒 なくらいの日本語ではっきりと言われた。昔の母校では考えられないことであるが、 教師どころかブラザーである校長先生を やはりうやまってほしい。 介護  あのブラザーハウスの夕食の文化は在校生なら誰でも知っている 厚いお肉、フラ ンスパン、そして ワインときまっており そのなごやかさは窓越しにみて、在校生 はあこがれるとともに 聖域だった。それにご奉仕する独特の女性がいたが、名前失 念、戦前の純心の家庭科の先生だったらしい。いまはそんな人がいないらしい。それ で、洗濯物から 食事まで すべてが習慣がかわり 寮の食事を一緒に配膳するもの だから、肥満になるという 洗濯物はあまりに気の毒でここに書けない。同窓生なら、DMでの質問に誰があらって いるかを書くが、涙がでてくるとおもう。 また 高齢化しており、古い建物に 高齢者の介護に もうワインをのまなくなった という 凋落に 思わずボクは堪え忍んだ。 校長には 現金を渡すのは御法度だがおそらく修道会のならわしだと 酒類はOKのは ず、ワインをせめて呑んでください。それがブラザーですというと本当にありがたそ うにビール券をとっていただきにこにこされていた。 思い出ワインについてはいずれ投稿する 帽子  なんと今じゃ母校の制服ならぬ制帽はなくなり鹿児島市内のどこにいってもないら しい。生徒がほしがるので、探し回ったがどこにあるのでしょうかという 信じられ ない質問が出た。僕らのころはあの手裏剣のような校章つけた帽子をかぶったもので あるが、時代がかわってしまった。 アスベスト問題、  実はアスベストは使われているかどうかはわからないが、今回高校校舎の改築新装  理科館の解体などが待ち受けている。おそらくアスベストのことが話題にでるだろ うとおもって校長は前もって調査をして 安全に取り壊せますからと ご父兄を説得 していた。その真摯な態度に意外な落とし穴を感じた。 お金  金のない地方の貧乏私立である 暑さと雨のため 校舎がもたない、それゆえ立て 替えないといけないのだろう。お金のことがたいへんである。それには 同窓生の多 くが協力やらチエをだしているらしい。金策のブレイン、設計施工のブレインも 同 窓生が活躍しているという。でも、ブラザーハウスの保存は金がいくらかかるか 想 像を絶する 何度も直訴しにいくうちに、ついに ボクには なんとか残しますと言 われた。まさか こんな卒業生が突然あらわれて アッシジの大聖堂だの オリジン は古いことなど 講演するとは思わなかったのだろう。 元校長も意外な人物とボクを表していた。 では ここからボクがあるMLに投稿したものの転載をする 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 件名 赤ワイン。 25期の三毛です。 仙台訪問時に あこがれの ブラザーハウスの 赤ワインを 1杯、それも大友先生 が器用にコルク抜いて ワイングラスについでいただき 味わいました。  僕らの ころ ブラザーハウスの食事は ワインと フランスパンと 厚いステーキで とに かく あれだけの フランス料理が 羨望というか いまの日本でいくら金だしても  たしなめるものじゃないと 在校生は みんな知っていました。 その後 いろいろな国に行き ご当地ワインも飲みましたが、修道服を着た 人たち のワインの姿がボクのワインの原点です。 ところで、いまじゃ ブラザーハウスには そんなワインを飲むようなことはない、 と ホセ校長が言っておりまして、さすがに これは 一大事と思いました。 食事は 寮の食事をとっているらしい。。。カロリーはあきらかにオーバーで 酒も 呑まないらしい。。これには さすがに聞くに耐えられず  日本に着たばかりのホ セ校長が 名古屋同窓会で マティーニを楽しそうに飲む姿が もう かけはなれて 気の毒で仕方ありません。 教会関係者に お金を渡すのは 比較的禁忌なので、聖職者と会うときは いちおう  到来物ですが ビール券をポチ袋にいれて 面会します。 さすがに ワインの伝統がなくなり 食事も寮とおなじと聞いて耐えられず、財布に 入れておいたポチ袋の ビール券を そ〜〜と 校長に差し出しました。 喜んで受 け取ってくれて ほっとしました。 わたしは 医者ですから、仙台の落成直後の 聖堂、修道院をみたら これは 良い 施設で、ワインをたしなむ 気風が残っており、設計も シルバー時代に対応してあ り、ホルヘ管区長が丁寧な日本語で 聖堂から 個室、風呂場に干し物のスペースな ど解説していただきました。 メキシコ人の管区長も 美味しそうに 赤ワインのんでいました、ヒルの食事のとき です。 だから、ホセ校長のお言葉は とてもつらく、 ブラザーが 酒のめない、ワインの まなかったら、ラ・サールは本当に駄目になると 思ったくらいです。 御本家の 第6条事項は十分に理解し、営利性、募金活動などを 要求するのでなく 僕らの誇りだった あのワイン文化を 今の 校長にも してほしい。というのが ボクの希望です。 医者ですから、患者さんから 金券をいろいろともらいますが、 ビール券は なぜか お世話になっている フランシスコ会でも、差し出し ラ・サール会は当然とおもって 差し出しました。 他愛のないことですが、文化などは 我々の誇りです。 僕らには 羨望のワイン文化があのころあった。 それがブラザーハウス。 仙台では 本当に ラ・サールホームで使えたら、と思って 持って行きましたが、 赤ワインに 良いしびれ、とても幸せの1杯で うれしっかったです。何もお礼もで きず失礼しました。 また、仙台の新しい修道院は 医者の目からみると 大災害のとき、エレベーターは ないが、立派な MASHになりうると 思いました。寄付したカイがありました。 では、 また、三毛 ps 管区長はとても日本の茶道が好きでした。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 件名 手裏剣校章と帽子 > 海外で なぜか 会わないのは ボクが あの 「手裏剣校章」が本物と > 思いこんでいたためです。 25期の三毛です。 実は この前の 懇親会の 2次会、3次会で ご父兄から 話題になったのです が、ボクは 編入したときに 誇らしげにかぶっていた、あの 手裏剣校章 (俗称ですみません) が 真ん中についた帽子は いまじゃ どこにも 売っておらず、 在校生がほしがるので、鹿児島市内を 親子で探し回ったが なかった。。どうしてないのですか?? という ボクには意外、そして ご父兄には素朴な 質問が出ました。 いま 本当に手に入らないのでしょうか??? では また 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 件名 元校長とのやりとりと ワイン文化 大友先生へ、25期の大阪の三毛です。 > 2つのメール拝受しました。ラ・サール会や学校あるいは聖ラ・サールの紹介や宣 伝> をしてくださって厚く感謝します。意外なところに援軍が現れた感じがしていま す。 ボクもいっとき 教育者として 大学で教えていました。当時 しごいた連中はいま でも、ボクをなつかしがり、いかに 記憶に残らせるかが ポイントだというのは 中学3年で編入して 1年間受けた大友先生の倫理の授業でした。 33年たったいまでも この前 お話したとおり きちんと覚えています。 おかげさまで 看取り医療にはずいぶん役に立ちました。 ただ、ボクも 気力 体力がなくなり、医者の不養生で、ダウンしたりして 再出発です。 スペルを忘れましたが、 NY英語で ルネッサンスマン というのがあります。Broたちは みんな ルネッサンスマンだったように 思いますし、ボクもへこたれたときは この言葉にあこがれを感じて なんとか やってこれました。その精神は 何人かの教え子たちに継がれている と思っています。 > 当方のワインを気に入ってくれたようでこれも有難いです。実はあのワインは安物 で 値段じゃないです。1杯を1時間くらいかけて 呑んでいたと思います。 とにかく あこがれの ブラザーハウスのワイン。 在校時、帰宅(下宿に帰るとき) そ〜〜と 窓越しに見える  ワインと あの料理。 そして、山積みされた空瓶の数々、 ボクは Medoc とか Ruffinoは それで覚えて、ほかのは忘れましたが、 大阪に帰郷するたびに 母に Broが呑むのと同じのを呑みたいとせがみ、 未成年ながら、 密かな楽しみで 呑みましたが、 Broたちが呑む姿とは かけはなれて、単に味がする 液体でしかありませんでした。 当時、ワインのコルク栓をあけるなんてのは 一般家庭ではなかったころです。 母は Broが呑むものは ええもんにきまっているのに、なんで おまえは まずいというのや?と言いまして、それは料理だろうと 言い合いになり、 ついに見よう見まねで ブイヤベースを作ったり 都会の大阪でも デパートくらい でしか 売っていなかったフランスパンを食べたりしたのですが、Broたちの表情と はぜんぜんちがう。 食文化のちがいなんですねえ、 あこがれました。 次々とワインの名前を控え、 あれが呑みたい、これが良いらしいなど、とても、学 生には思えない発言も なぜか 母は 買うたるわといって 遠慮無く 呑ませてく れましたが、本当の味わいは文化なんだと 中国各地や アメリカや ロシアにいっ て気付きました。 あのワイン 値段なんて 気にもならず とにかく あの味わいこそ、私が(実はか なりの同志の) あこがれたものです。 > 私が生きている間に仙台に来てください。大友 ボクも曲がりなりに医者です。視診では よほどのことがないと 「まだまだ」と思 います。 介護認定も 介護施設のバイトも やっていましたが、いま 介護審査にかけても、 要支援が出るか出ないかくらいの お元気さでした。 1.フランシスコ会と赤い車の運命の出会いとか 2.例の 思わず へえ〜〜〜〜〜〜 といってしまった   校名の由来など 3.それにまだ 瀬田のフランシスコ会の図書館にいって フランシスコ会の例の本 を   手に入れるお約束や あそこにある 平さんの 集めた資料の解析(ほとんどが   フランス語らしい)>>これは パンドラの箱をあける可能性があります。   フランス語はボクは駄目ですが、とにかく偵察、そして、なんと フランス語し か   外国語はやったことがないという LSの血が濃い女性が(東京同窓会でお目にか    かったあの子です)     「おじさまやラ・サールのためだったら フランス語なんとか  翻訳できる     かも、、、」といって 志願してくる人の存在など、 いま 風が追い風です。 本も手にはいるでしょう。 本をなんとか仕入れて 1と2の話など また 再度インタビューさせてください。 次は とにかく 瀬田に 1回目の偵察にいきます。 たぶん 段ボール20箱の資料は ほとんどが ケベックのフランス語の 新聞の切り抜きだろうと 想像しています。 では また ミケ ps、日本とケベック宣教の歴史研究は上智大学のアメリカン文化センターから   すごい総説と各論がでています。  お時間のある方、 このhttp://www.info.sophia.ac.jp/amecana/Journal/15-4.htm を 読んで頂ければ 幸いです。長文の力作です。 みけ@後藤援軍先生へ ならびに localのメンバーへ ではでは 長文 ご拝読ありがとうございました。 From: "三毛医院" To: "Masamichi Goto" Subject: Re: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 ブルースブラザーズ Date: Sun, 11 Sep 2005 18:28:25 +0900 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 ブルースブラザーズ > (ここは、後藤のつぶやきコーナー) > *僕の記憶では、ラ・サールの修道士達はいつもは質素な食事しかしていなく > て、教会の祝日だけがちゃんとした食事だったと思うのですが、三毛さんの描 > 写されるブラザーハウスの食事は、よだれが出てきそうですね(^_^;) 三毛です、、ええ??ボクは幻影か何かをみていたのでしょうか?? とにかくブラザーハウスの南側にはワインの空瓶 リキュールの空瓶が 山のように積み上げられ、いつも フランスパンに 厚いレアのステーキでした。 火事でやけだされると あそこに泊まれるらしいがすごい食事で 「火事のありがたみ」がわかるというくらいです、 鹿児島ではじめてできたフランス料理屋の最後の5フランにも、 ブラザーたちは お忍びでよくでかけていたそうで、マスターはそのように 言っておりました。 もうあの店ないだろうな、、地蔵角 > *ラ・サール会のブラザー達がいかに質素で日本の子供達のために汗水を流し > ていたかは、井上ひさしが証言しています。「モッキンポット師の後始末」な > どが参考になるかもしれません。 そのとおり、モッキンポット師のもう一作のふたたび というのを 合わせて読むととてもおもしろい。 第1作目で 「私」が仙台の孤児院から マルセルプティ修士の署名入りの 紹介状をもって 聖パウロ学生寮をたずねるところなどは マルセルプティ元校長が健在なだけに 実在の人物登場というところだろうか。 なお、モッキンポット師が大阪弁を使うブラザーでフランス人という設定が おもしろく聖パウロ学生寮は実在しています、 おそらく ラ・サール会が経営していた 聖パウロ学生寮のことだろうとおもいま す。 とはいえ、実際と小説はどうだったのかは知りません。 それと大阪弁つかうモッキンポット師が 松岡氏の大阪弁とよく似ていて なんとなく 何人かの今のネットの人間を あの学生たちにあてはめると そっくりなので、一度 松爺の後始末 というのでも書いてやろうかと 思ったのですが、先に建築探偵をやってしまった。 > *なお、キリスト教の中にはきちんと禁酒を守っている宗派もありますが(主 > に新教=プロテスタント)、ローマカトリックは禁酒ではありません。私個人 > は「お酒は嫌い」なのですが、いつも「お酒に好かれて」困っています。 > (つぶやき、ここまで) でも後藤先生、、誓願したら、修道院にはいって あとはバターを一生懸命つくるな どのそういう修道会もあることだし、いろいろですよね。僕らのころは聖杯には何か 赤い液体をいれたように覚えていますし、聖餅はプラスチックで代用していたよう な。。 とにかく ラ・サール会は あっさりしていてあの聖堂なんか、プロテスタントのよ りも質素というか簡素ですねえ、母校にパイプオルガンくらいあっても良いと思うの だけれど、 管理と誰が弾くかで大変でしょうね。。 あ、そうだ、最近、、仙台の修道院では チリとか南米系のワイン 廉価がのまれる ようですが、ヒルの食事時に出たワインをさっさと抜く80才越えたブラザーの手つ きみると すごいとおもうし、ワインのつぎ方などは もう the best ただし食事は クッパ丼? お好み弁当に メロン お茶、茶菓子で もう満腹でし た。 誰かが 買いにいったそうです。 後藤先生 写真部でしょう カメラと広角レンズと 接写レンズもって訪問してみて ください、 大友Broはよく覚えておられました。また服部管理人のことにも触れたらよく覚えて おられました。記憶のよい方です。管区長は 日本語が達者で、メキシコ人がボクの 時には 2人、、おそらくもっといるはず ケベック人はマーク先生、日本人は 2 人のようです。 みなさん、達者でした。 では また。