==== PART 5です ==== 2005.10.21 鹿児島ラ・サール高校25期の三毛紀夫氏(大阪支部)が、「地域医療研究会ML」という、同6期の服部行麗氏(谷山で内科クリニック開業)が主催する全国規模の医療系MLに投稿した、ラサールのブラザーハウスの建物の由来に関するメールを、転送用に21期の後藤正道がまとめたもの。 Date: Sun, 24 Jul 2005 13:50:46 +0900 From: "mike norio BB" Subject: [LOCALMTRET:045797] 建築探偵 鹿児島谷山もの その42 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その42 みけです。 翔ぶが如し というサブタイルで 書きたくてうずうずしているのですが、 ちょっと夏ばてです。 いったん 執筆は休憩。 その分、いちど、みなさん 見てみたいという 松岡少年の写真、、 それに 開校時のブラザーハウスの写真を 某サイトにアップしてもらいました。 これらの写真は 生前、松爺が ご自分で編集した卒後30周年記念誌から 奥様のご了解を得て、わたしが デジカメで撮影したものです。 http://www.aikoku-u.ac.jp/ls-25/mike/DSC00149.JPG これが、おそらく1950年の開校時の 1期生( すべて 高校2年のときに 編入してきた)の集合写真です。 前列中央が マルセルプティ校長、その横が 井畔初代教頭。 そして、生徒たちの服装はばらばら、、これは 編入で 1期生を集めたという 事実に関連すると思われます。 松岡少年は 後列むかって一番右の 童顔の少年。 おなじ服装が 3人ほどいます。 きっとそれが 当時の 鶴丸高校の学生服だったと思われます。 また お気づきかもしれませんが、 1.生徒は全員 裸足。>>どれだけ、戦争直後で困窮しいていたか、、    それは 松岡青年が 某日、テレビ出演するときに メモを残していますが    困窮の中にやってきた アメリカではない外国人ブラザーたちへの    ある種の共鳴とでもいう表現に読み取れました。 2.この写真の背景が いまも残る ブラザーハウスの玄関です。 http://www.aikoku-u.ac.jp/ls-25/mike/DSC00153.JPG  これも松爺が編集した 卒後30周年アルバムから 拝借。  開校当時の ブラザーハウスです。  松に囲まれている、  左側に木造の2階建て部分、、僕らの頃は 2階が図書室  1階が音楽室、  そして、この前のところに ゴザひいて、  1回目の 開校式というか、入学式が行われました。 右側の煉瓦造りにコンクリート外装の 三角お屋根は もう 壊されて、 今は 聖堂になっています。 もう 30年以上前の話です。 ものすごく 中は蒸し暑く 改築・改装には誰も反対しなかったとか、、 そして、いまだに、この写真の部分以外の 写真の 右奥側の部分、 写っていませんが、その部分は きちんと残っています。 75年前に 建てられた 一大カトリックモールだったのが このブラザーハウスで、建てたのは カナダ系のフランシスコ会、 そして、建ててからおおよそ20年後に買いとったのが カナダ系のラ・サール会というのが この建物の オーナーの変遷です。 では。 Date: Sun, 24 Jul 2005 18:14:27 +0900 From: "mike norio BB" Subject: [LOCALMTRET:045798] 建築探偵 鹿児島谷山もの その43 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その43 みけです。 「チビ」 あのブラザーハウスには イヌがいた。いや いたらしい。。 在校時には そのようなイヌの存在は いちおう 知っているから また 違う題名で投稿しますが、 今回のイヌは 「チビ」 ところかわって 静岡県の秋葉山、ここは 火事の厄よけの お参りにいく 有名な古刹で、 どうも、チビは そのような役割を ブラザーハウスにすみ ながら、やっていたらしい。 いつのころのイヌかは わからない。 でも、とても賢いイヌで、 校長が朝礼するときは 必ず 横に座り、 ブラザーハウスの中の公用語であった フランス語以外は 理解できないという イヌだった。 そして、同窓生なら、母校がどれくらい火事が多かったかは、 ご存じとおもう。 わたしが在校した 4年間でも、3回火事があった。 下宿でFMの鹿児島のNHKを夕方聞いていたら、 突然、臨時ニュースですと アナウンスが入り 「いま ラ・サール学園が燃えています」と いうので、夕方、見に行った覚えがあるし、 期末テストの日に なぜか校舎が焼けたとか、 もう ボクは 洒落か? と思ったのは 朝 学校めざして 歩いていたら、当時の谷山は 遮蔽物がなく、なんか 煙がもうもうと上がるのが見えた。 当日は 防火訓練の日とは聞いていたので、 火事が多い学校なので、 徹底した訓練でもやるために なんかもう 用意しているのか? とおもって 歩いていったら、裏門には 多数の消防車がとまり 裏門から えんえんと 本物の ホースが無数に 構内へと むかっている。 裏門には 地理のK先生がたっており、 三毛 「先生 こんなところで何やってんの?」 k先生 「火事なんだよ、火事。。」 三毛 「だって 今日は訓練の日でしょう」 k先生 「本物の火事だって」 と言われて、ええ?と思いながら、ホースをまたぎまくって 自分の教室にいったら 教室の窓から、本当に 校内を 防火服着た消防士さんが歩き回っているのが見えた。 その日は 確か、防火訓練は予定されていたが、中止になったと おもう。。(記憶が定かではない) とにかく 火事が多かった。 (昭和29年の 木造のブラザーハウスも 焼失 とちゃんと 記録には書かれてい る) でええ、、、 この「チビ」「というイヌ、 とても賢く、生きているときは、校内のそこら中の火を消して廻ったらしい。 なぜ、火があったのかは 賢いボクは聞かなかったが、 元校長は 「あのイヌが死んでから 火事ばっかりだったあ」と あの独特の口調で 語られていた。 チビって フランス語なのか、日本語なのか知らないが、 そういうお話を聞いてきた。 きっと 同窓生のアルバムの どこかの卒業年のところに そのチビが載っているだろう。・ きっと チビは 秋葉山からの使い? いや、カトリックだから、 何か、火事に関係する聖人の使いだったのかもしれない。 イヌの話、もう1話つづく、、 Date: Sun, 24 Jul 2005 18:50:27 +0900 From: "mike norio BB" Subject: [LOCALMTRET:045800] 建築探偵 鹿児島谷山もの その44 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その44 みけです。 ・・・・  「Q」  ・・・・ 大文字のQから始まるイヌの話。 と書けば、近年公開された、クイールという盲導犬の映画が みなさん 思い出されるでしょう。 Quirr かな、、あまりなじみのない単語 それが Qの大文字から 始まる ので、いちおう調べたら、羽根とか羽根ペンの硬い部分とか 言う意味らしい。 盲導犬は生まれた順番に アルファベットで名前をつけるとか、その映画では 言われていた。 クイールは Qから始まる 名前になる運命だったらしい。で、Qから 始まる名前になったと映画は語っていた。 確かに 在米したときに いろいろな文章を手書きでも書いたが Qの大文字から始まるというのは ほとんど 記憶にない。 いま ぱっと浮かび上がるにしても、 quater queen quick quack quit quant などしかなく、わざわざ 大文字で書いたのは 船の名前の QEとか アメフトのQBくらいしか 思い出せない。 それだけ 珍しい Qから始まる名前のイヌが 在校時 ブラザーハウスに 住んでいた。 記憶がはっきりしないのだが、 名前だけは よく覚えている QUINTRIX といい 当時流行した テレビCMからおそらく命名されたとおもう。 意味は 調べたが、辞書には載っておらず、不明である。 このイヌ、Broグレゴリーの愛犬で、 校内を自由に散歩していた、 校舎の中にも 授業中にときおり入ってきて、みんなで QUINTRIX QUINTRIXといって かわいがった。 このイヌが一躍 有名になったのは 入試のときである。 記憶が正確なら 確か昭和51年の2月の ラ・サール高校の入試の英語に このイヌの 話が 英文解釈として 長文読解で出てくる。 Quintrixと英文には書かれ、拾われて、ブラザーハウスで育てられ みんなの人気者になった、、英文は確か 途中から heで受けていたように 覚えている、♂なんだろう。 入学試験を受けた人たちは さぞかし 驚いただろう。 なにせ、Qから始まる固有名詞が 入試にでてくる、 それも、イヌの名前で、ブラザーハウスに住んでいることになっている。 実際にそうだった。 当時の日本の英語教育でも、Qから始める固有名詞が 英文読解に でてくるなんてのは さぞかし 珍奇なことだったにちがいない。 でも、在校生には この入試問題を作ったのが Bro グレゴリーであるのは 一目瞭然。それくらい Bro グレゴリーの英語は 信頼されていた。 後に聞いたが、このブラザーには 親戚にはアメリカ国籍が多く ケベックから来たブラザーの中では 英語がもっとも達者だったらしい。 幸いにも このブラザーに 私は英語を教えてもらい、今でも 感謝している。 だが、 ものすごく気の毒なことに サハリン沖で 帰天された。 今から 22年くらい前の暑い暑い夏だったように覚えている。 そして、聞いてみた。Quintrixは どうなったのですか? 「オーラス先生が とにかく イヌ嫌いでねええ、、  でも、グレゴリー先生が あのイヌをかわいがって   ブラザーハウスの中の自分の部屋のベッドの中で   寝かしていたものだから、 グレゴリー先生が長期休暇のときに    保健所にひきとってもらったはずだよ」 と聞いた。ただ、今から思えば、上記の文章を 話したブラザーは その当時、海外に研修にいっており、 オーラス元校長も 帰天されている。 それ以上、聞けなかった。 先日、同窓生から、三毛がそこまで調べるなら、いろいろと写真を送るから、 といって 母校の物故者の 写真リストを 送ってもらった。 その中には多くの恩師がいるのだが、Quintrixも チビも いなかった。 今日はここまで、、 Date: Sun, 11 Sep 2005 12:00:48 +0900 From: Masamichi Goto Subject: [LOCALMTRET:046218] 建築探偵 鹿児島谷山もの その45 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) 後藤正道@鹿児島です。 何故か、わたくしめからの「建築探偵 鹿児島谷山もの その45」ですが、 三毛先生から「代理投稿して下さい。」とのお願いです。 三毛さん、長い人生の中には「休息」も必要です。 僕も、10年ほど前に過労でダウンしたことがありますが、その時に充分に休 むことができたので、今は元気です。 このシリーズは、あせらずにゆっくり進めて下さいね。 ======以下、三毛メールをそのまま貼り付け====== 三毛です、 例のシリーズ ブレインの後藤先生に 託しました。 代理の投稿をお許しください。 Subject: 建築探偵シリーズ 鹿児島たにやまもの その○○ しばらく 病気で休んでいました。 だから 通し番号をわすれてしまった 多分 その40といくつかになるとおもう、 かつて お告げの姉妹フランシスコ会のシスターの話を そのいくつかで 投稿した のを 覚えておられるだろうか、 9月初旬、そのシスターを尋ねて 女子の修道会の施設に 訪問インタビューしてき た。 内容はフランシスコ会のガブリエル神父@ケベック人らしい と 例の孤児院の お 化け屋敷さらに谷山とフランシスコ会や その女子修道会の関連などである。 これまで取材した数々の 資料を持参し、シスターの前に行くのであるから、身なり をととのえ 夜 道に迷いながら タクシーと徒歩で いった。ちょっとわかりにくいところで電 話したら、 闇夜にシスターは 修道服を着て 目立つように道にたち お迎えしてくれた。 これはきっと良いことがあるとおもい いろいろと質問した。 1.谷山のこと    どうもその修道会の発祥の地が鹿児島で 谷山という言葉が自動的にでたらしい が、当時、一緒に働いていたシスターは92歳でまだ元気で東京にいるらしい。その 人なら記憶に残っているかもしれないといわれたが、なにせ私の質問は 質問を受け るシスターの生まれたころの話ばかりで、とにかく驚いておられた。 2.ガブリエル神父  この神父はフランス語を話すカナダ人で どうも 谷山に縁があるらしい ラ・ サール会のある修道士に聞けば懐かしそうに生前は谷山のブラザーハウスにきていた そうだ。そのときか 東京の修道院での記念写真かはわからないが、偶然 手に入れ たので それも印刷してもっていった。 そうするとそのシスターは 間違いありま せん。といわれ まわりのラ・サール会の修道士の修道服との違いを指摘された。 端正な顔立ちで、信仰あつく 信者はとても 尊敬していたなど数々のエピソードが のこっている もう すでに帰天されているが ブラザーハウスと縁が深いフランシスコ会神父に違 いない。 3 修道服  ラ・サールの修道服は 紐はせず、襟に独特のカラーがつく、ひげは通常はやさな い、 その一方で フランシスコ会のは 紐を腰にして 結構ルーズな しかも厚めの服装 で長袖にかならず 独特の帽子という姿で 襟にカラーはない。ひげは あごにはやすのが なぜか当た り前のようだったらしい。 だから故平修士の本の写真に載っている多くのフランシスコ会の修道士たちの服は僕 の目からは まったく 別物にみえたのは 仕方ないことなのである。 4.お化け屋敷  ガブリエル神父は 鹿児島で 女子の フランシスコ会系修道会を組織し 孤児院 をしていた。すごい活動だったようだった。市内を放浪する孤児を 木造の施設に収 容し 一所懸命にシスターたちと世話をしていたそうだ。 そのお化け屋敷は いまの鹿児島の市内の結構中心部にあり 最終的には新屋敷町に あった。 僕は谷山の何かの施設で木造で一緒なのかとおもったが、シスターがみせ てくれた追悼誌の写真には 2階建てで結構立派な木造だった。戦後買収した 木造 のブラザーハウスは 1階建てなので、この点でも異なった。やはり 谷山はゆかり の地で活動の場でないこともいろいろな資料をみせてもらってわかった。 とにかく 愛されたのが ガブリエル神父で どうも想像するに 同じケベックなの である。 5.鹿児島とフランシスコ会  戦前は 谷山にフランシスコ会の 一大拠点があり、宣教活動をしていたが、激し い迫害が 奄美鹿児島であり、おそらく そのために 最後のミサをして 引き上げ たらしい。年月日不明、おそらく 昭和の8年か? 戦後はいっさい ケベックのフランシスコ会は 鹿児島にも奄美にも関与しなくな り、いまは鹿児島はどこの修道会なのか僕ですらしらないし、なぜ フランシスコ会 がもどってこなかったかが不思議でその点も聞いたが、漠然としなかった。不思議だ  あれだけの偉業が わけわからず評価されず 封印されている。そして そのフラ ンシスコ会系の女子修道会は東京の大田区に本部をおき各地でいまも 幼児の世話を している。日本人シスターばかりだが、ガブリエル神父の精神愛情を大切にしている と感じた。 5のつづき  どうしてそのような歴史のある 谷山に戦後 、まもなく ラ・サールが 入って きたかは本当に皮肉とも言えるし 天使のいたずらかもしれないし、数奇な運命とおもう、それを もう75年も見てき たのが あのブラザーハウスなんです。 シスターとは 長時間話して 最後は過分なお礼を言われ 大変心地のよさを感じて  闇夜に僕は消えていった。 おそらくシスターの就寝時間をかなりすぎているはず だが、三毛せんせいは 面白い方ですねえといわれ 僕が非信者とつげると十字架きらずに 最後は 聖職者なのに合掌してくれた、意外 だったが、とてもうれしかった。もちろん、感謝いっぱいで 今度 何かお困りでし たら、医師として 何かお役にたてるなら 喜んで います。と携帯番号を伝えた。 お礼に何かのお役に立ちたいと 思う夜だった。 ではでは。 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その46 Date: Sun, 11 Sep 2005 13:54:53 +0900 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その46 > 三毛さん、長い人生の中には「休息」も必要です。 > 僕も、10年ほど前に過労でダウンしたことがありますが、その時に充分に休 > むことができたので、今は元気です。 > このシリーズは、あせらずにゆっくり進めて下さいね。 三毛です後藤先生 感謝しています、 今回のダウンも 同窓生やら ケベック系の修道会卒のいろんな人に助けられ なんとか復帰しましたが、ボクには数奇な運命があるらしく、復帰してから、 ものすごく 騒ぎが多く、ストレスフルなんですが、いまは持ちこたえています。 さて、今回はその46 実は 8月の7日 1期生の松岡氏の偉業を乗り越えようと して 大阪神戸名古屋四国PTAの合同懇親会で PTA初の液晶プロジェクターを使った講演を してきました。 その直後にダウンしたのですが、それ自体はストレスになっていません。 そこで聞いたいろいろな話をご披露します。 母校はずいぶん変わってしまった。 でも伝統や誇りは残ってほしい そして 教育の修道会だから、早いうちと 親たち を安心させるような講演をしたい。 方法論は くやしながら 松岡氏の方法とまねたというか そっくりだった。また  生前の手書きメモがとても役にたった あの人 いろんなことマメでしたが、要点を押さえるのもすごかった。それを解読し たら 3分の1世紀たっても使えたわけです。 1.志願と自腹  33年前ボクが編入したころ 夏場にPTAがあるという  鹿児島の学校なのに 大阪でPTAがあり、実に妙なシステムだった 母は不安げに参加したら、当時は 少人数ですべて自腹で松岡氏が世話をしていた、 学校から 教師がきて説明、母たちは最後に教師と 松岡氏を取り囲んで昭和のスタ イルで 記念写真と取っていた、偶然手に入り、もちろん これだ!! とおもい 参考にし た、 母はとにかくすごい卒業生がいると松岡氏のことを ほめあげて ああいうええ人が いるのなら 鹿児島までいかしたかいがあったと 感動していた。  今母校は凋落の一途である、PTAも大変らしいと聞くが、それを持ちこたえるには  33年前に 松岡氏がやったようなことを志願していけばいいだろうと思った。 ただし すべて自腹で破格のことをしていたらしい。 これだけは お金に余裕のないボクには真似はできないが、ここは清水の舞台と 割り切り、液晶プロジェクターと 講演用のノートPC 自腹と決め込み それに 未亡人にたのみこんで延長接続ケーブルを 借りました これだと きっと帰天か 成仏した松岡氏も縁があり、よろこぶことであろうと おもい 朝早くから行ってセットアップして PTAの母親たちには迷惑かけず 自分で準備、あとはおしっこと おトイレのくりかえしでキンチョウ状態でした。 さて、ちょっと話がかわって 松岡氏の自慢話、 数年前母校の創立50周年記念大会で 「ワシひとりが PCで講演したんや どや、、ええもんやろ三毛ちゃん」と聞かされていました。 とはいえ、同窓会の裏の情報では 巨大なホールに 松岡氏の要求通りの プロジェクターを用意して投影するのは裏方必死だったようです。 というわけで 数年後の三毛は ちゃんと生前の約束どおり 「乗り越えます」 といって 「ええよ」とおそらく 筆ももてないなか 自分でたったわずかに 打ち込んだ メールが ようやく乗り越えようとしたことに 感激しました。 この回 長そうなので この辺で Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 Date: Sun, 11 Sep 2005 14:45:48 +0900 Subject: Re: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 ブルースブラザース 三毛です、 さきほどのつづき、 & 某同窓会系のMLに投稿し 相手方に転載はOKと了解えているものを 断続的に貼り付けます、 件名の ブルースブラザーズはご存知だろうか、 シカゴを舞台に 孤児院出身の とんでもないコンビが凋落する 孤児院の負債をな んとかするために くりひろげる なんともいえないノリの映画である、 もうスラ ングだらけのアメリカのシカゴの映画。 黒い帽子に 黒のサングラスに のっぽと  でぶのコンビといえばなんとなくわかるであろうか、 いま母校、ブラザーハウス その中に暮らすブラザーたち そして 学校そのものが  僕らのころの良さがなくなり このままでは ほっておけない、 だから、この 際、 ブルースブラザースの ラ・サール版をしようと企んでいる。 もちろん 協 力してくれるのなら、 同窓生でも誰でもwelcomeである。 2から始まるはず、 校長の嘆願  大変な時代になった 校長が懇親会でいうには昨今 夜どころか深夜に長時間の電 話をされるご父兄がいるらしく とにかく 私に仕事をさせてください と 気の毒 なくらいの日本語ではっきりと言われた。昔の母校では考えられないことであるが、 教師どころかブラザーである校長先生を やはりうやまってほしい。 介護  あのブラザーハウスの夕食の文化は在校生なら誰でも知っている 厚いお肉、フラ ンスパン、そして ワインときまっており そのなごやかさは窓越しにみて、在校生 はあこがれるとともに 聖域だった。それにご奉仕する独特の女性がいたが、名前失 念、戦前の純心の家庭科の先生だったらしい。いまはそんな人がいないらしい。それ で、洗濯物から 食事まで すべてが習慣がかわり 寮の食事を一緒に配膳するもの だから、肥満になるという 洗濯物はあまりに気の毒でここに書けない。同窓生なら、DMでの質問に誰があらって いるかを書くが、涙がでてくるとおもう。 また 高齢化しており、古い建物に 高齢者の介護に もうワインをのまなくなった という 凋落に 思わずボクは堪え忍んだ。 校長には 現金を渡すのは御法度だがおそらく修道会のならわしだと 酒類はOKのは ず、ワインをせめて呑んでください。それがブラザーですというと本当にありがたそ うにビール券をとっていただきにこにこされていた。 思い出ワインについてはいずれ投稿する 帽子  なんと今じゃ母校の制服ならぬ制帽はなくなり鹿児島市内のどこにいってもないら しい。生徒がほしがるので、探し回ったがどこにあるのでしょうかという 信じられ ない質問が出た。僕らのころはあの手裏剣のような校章つけた帽子をかぶったもので あるが、時代がかわってしまった。 アスベスト問題、  実はアスベストは使われているかどうかはわからないが、今回高校校舎の改築新装  理科館の解体などが待ち受けている。おそらくアスベストのことが話題にでるだろ うとおもって校長は前もって調査をして 安全に取り壊せますからと ご父兄を説得 していた。その真摯な態度に意外な落とし穴を感じた。 お金  金のない地方の貧乏私立である 暑さと雨のため 校舎がもたない、それゆえ立て 替えないといけないのだろう。お金のことがたいへんである。それには 同窓生の多 くが協力やらチエをだしているらしい。金策のブレイン、設計施工のブレインも 同 窓生が活躍しているという。でも、ブラザーハウスの保存は金がいくらかかるか 想 像を絶する 何度も直訴しにいくうちに、ついに ボクには なんとか残しますと言 われた。まさか こんな卒業生が突然あらわれて アッシジの大聖堂だの オリジン は古いことなど 講演するとは思わなかったのだろう。 元校長も意外な人物とボクを表していた。 では ここからボクがあるMLに投稿したものの転載をする 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 件名 赤ワイン。 25期の三毛です。 仙台訪問時に あこがれの ブラザーハウスの 赤ワインを 1杯、それも大友先生 が器用にコルク抜いて ワイングラスについでいただき 味わいました。  僕らの ころ ブラザーハウスの食事は ワインと フランスパンと 厚いステーキで とに かく あれだけの フランス料理が 羨望というか いまの日本でいくら金だしても  たしなめるものじゃないと 在校生は みんな知っていました。 その後 いろいろな国に行き ご当地ワインも飲みましたが、修道服を着た 人たち のワインの姿がボクのワインの原点です。 ところで、いまじゃ ブラザーハウスには そんなワインを飲むようなことはない、 と ホセ校長が言っておりまして、さすがに これは 一大事と思いました。 食事は 寮の食事をとっているらしい。。。カロリーはあきらかにオーバーで 酒も 呑まないらしい。。これには さすがに聞くに耐えられず  日本に着たばかりのホ セ校長が 名古屋同窓会で マティーニを楽しそうに飲む姿が もう かけはなれて 気の毒で仕方ありません。 教会関係者に お金を渡すのは 比較的禁忌なので、聖職者と会うときは いちおう  到来物ですが ビール券をポチ袋にいれて 面会します。 さすがに ワインの伝統がなくなり 食事も寮とおなじと聞いて耐えられず、財布に 入れておいたポチ袋の ビール券を そ〜〜と 校長に差し出しました。 喜んで受 け取ってくれて ほっとしました。 わたしは 医者ですから、仙台の落成直後の 聖堂、修道院をみたら これは 良い 施設で、ワインをたしなむ 気風が残っており、設計も シルバー時代に対応してあ り、ホルヘ管区長が丁寧な日本語で 聖堂から 個室、風呂場に干し物のスペースな ど解説していただきました。 メキシコ人の管区長も 美味しそうに 赤ワインのんでいました、ヒルの食事のとき です。 だから、ホセ校長のお言葉は とてもつらく、 ブラザーが 酒のめない、ワインの まなかったら、ラ・サールは本当に駄目になると 思ったくらいです。 御本家の 第6条事項は十分に理解し、営利性、募金活動などを 要求するのでなく 僕らの誇りだった あのワイン文化を 今の 校長にも してほしい。というのが ボクの希望です。 医者ですから、患者さんから 金券をいろいろともらいますが、 ビール券は なぜか お世話になっている フランシスコ会でも、差し出し ラ・サール会は当然とおもって 差し出しました。 他愛のないことですが、文化などは 我々の誇りです。 僕らには 羨望のワイン文化があのころあった。 それがブラザーハウス。 仙台では 本当に ラ・サールホームで使えたら、と思って 持って行きましたが、 赤ワインに 良いしびれ、とても幸せの1杯で うれしっかったです。何もお礼もで きず失礼しました。 また、仙台の新しい修道院は 医者の目からみると 大災害のとき、エレベーターは ないが、立派な MASHになりうると 思いました。寄付したカイがありました。 では、 また、三毛 ps 管区長はとても日本の茶道が好きでした。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 件名 手裏剣校章と帽子 > 海外で なぜか 会わないのは ボクが あの 「手裏剣校章」が本物と > 思いこんでいたためです。 25期の三毛です。 実は この前の 懇親会の 2次会、3次会で ご父兄から 話題になったのです が、ボクは 編入したときに 誇らしげにかぶっていた、あの 手裏剣校章 (俗称ですみません) が 真ん中についた帽子は いまじゃ どこにも 売っておらず、 在校生がほしがるので、鹿児島市内を 親子で探し回ったが なかった。。どうしてないのですか?? という ボクには意外、そして ご父兄には素朴な 質問が出ました。 いま 本当に手に入らないのでしょうか??? では また 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 件名 元校長とのやりとりと ワイン文化 大友先生へ、25期の大阪の三毛です。 > 2つのメール拝受しました。ラ・サール会や学校あるいは聖ラ・サールの紹介や宣 伝> をしてくださって厚く感謝します。意外なところに援軍が現れた感じがしていま す。 ボクもいっとき 教育者として 大学で教えていました。当時 しごいた連中はいま でも、ボクをなつかしがり、いかに 記憶に残らせるかが ポイントだというのは 中学3年で編入して 1年間受けた大友先生の倫理の授業でした。 33年たったいまでも この前 お話したとおり きちんと覚えています。 おかげさまで 看取り医療にはずいぶん役に立ちました。 ただ、ボクも 気力 体力がなくなり、医者の不養生で、ダウンしたりして 再出発です。 スペルを忘れましたが、 NY英語で ルネッサンスマン というのがあります。Broたちは みんな ルネッサンスマンだったように 思いますし、ボクもへこたれたときは この言葉にあこがれを感じて なんとか やってこれました。その精神は 何人かの教え子たちに継がれている と思っています。 > 当方のワインを気に入ってくれたようでこれも有難いです。実はあのワインは安物 で 値段じゃないです。1杯を1時間くらいかけて 呑んでいたと思います。 とにかく あこがれの ブラザーハウスのワイン。 在校時、帰宅(下宿に帰るとき) そ〜〜と 窓越しに見える  ワインと あの料理。 そして、山積みされた空瓶の数々、 ボクは Medoc とか Ruffinoは それで覚えて、ほかのは忘れましたが、 大阪に帰郷するたびに 母に Broが呑むのと同じのを呑みたいとせがみ、 未成年ながら、 密かな楽しみで 呑みましたが、 Broたちが呑む姿とは かけはなれて、単に味がする 液体でしかありませんでした。 当時、ワインのコルク栓をあけるなんてのは 一般家庭ではなかったころです。 母は Broが呑むものは ええもんにきまっているのに、なんで おまえは まずいというのや?と言いまして、それは料理だろうと 言い合いになり、 ついに見よう見まねで ブイヤベースを作ったり 都会の大阪でも デパートくらい でしか 売っていなかったフランスパンを食べたりしたのですが、Broたちの表情と はぜんぜんちがう。 食文化のちがいなんですねえ、 あこがれました。 次々とワインの名前を控え、 あれが呑みたい、これが良いらしいなど、とても、学 生には思えない発言も なぜか 母は 買うたるわといって 遠慮無く 呑ませてく れましたが、本当の味わいは文化なんだと 中国各地や アメリカや ロシアにいっ て気付きました。 あのワイン 値段なんて 気にもならず とにかく あの味わいこそ、私が(実はか なりの同志の) あこがれたものです。 > 私が生きている間に仙台に来てください。大友 ボクも曲がりなりに医者です。視診では よほどのことがないと 「まだまだ」と思 います。 介護認定も 介護施設のバイトも やっていましたが、いま 介護審査にかけても、 要支援が出るか出ないかくらいの お元気さでした。 1.フランシスコ会と赤い車の運命の出会いとか 2.例の 思わず へえ〜〜〜〜〜〜 といってしまった   校名の由来など 3.それにまだ 瀬田のフランシスコ会の図書館にいって フランシスコ会の例の本 を   手に入れるお約束や あそこにある 平さんの 集めた資料の解析(ほとんどが   フランス語らしい)>>これは パンドラの箱をあける可能性があります。   フランス語はボクは駄目ですが、とにかく偵察、そして、なんと フランス語し か   外国語はやったことがないという LSの血が濃い女性が(東京同窓会でお目にか    かったあの子です)     「おじさまやラ・サールのためだったら フランス語なんとか  翻訳できる     かも、、、」といって 志願してくる人の存在など、 いま 風が追い風です。 本も手にはいるでしょう。 本をなんとか仕入れて 1と2の話など また 再度インタビューさせてください。 次は とにかく 瀬田に 1回目の偵察にいきます。 たぶん 段ボール20箱の資料は ほとんどが ケベックのフランス語の 新聞の切り抜きだろうと 想像しています。 では また ミケ ps、日本とケベック宣教の歴史研究は上智大学のアメリカン文化センターから   すごい総説と各論がでています。  お時間のある方、 このhttp://www.info.sophia.ac.jp/amecana/Journal/15-4.htm を 読んで頂ければ 幸いです。長文の力作です。 みけ@後藤援軍先生へ ならびに localのメンバーへ ではでは 長文 ご拝読ありがとうございました。 From: "三毛医院" To: "Masamichi Goto" Subject: Re: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 ブルースブラザーズ Date: Sun, 11 Sep 2005 18:28:25 +0900 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その47 ブルースブラザーズ > (ここは、後藤のつぶやきコーナー) > *僕の記憶では、ラ・サールの修道士達はいつもは質素な食事しかしていなく > て、教会の祝日だけがちゃんとした食事だったと思うのですが、三毛さんの描 > 写されるブラザーハウスの食事は、よだれが出てきそうですね(^_^;) 三毛です、、ええ??ボクは幻影か何かをみていたのでしょうか?? とにかくブラザーハウスの南側にはワインの空瓶 リキュールの空瓶が 山のように積み上げられ、いつも フランスパンに 厚いレアのステーキでした。 火事でやけだされると あそこに泊まれるらしいがすごい食事で 「火事のありがたみ」がわかるというくらいです、 鹿児島ではじめてできたフランス料理屋の最後の5フランにも、 ブラザーたちは お忍びでよくでかけていたそうで、マスターはそのように 言っておりました。 もうあの店ないだろうな、、地蔵角 > *ラ・サール会のブラザー達がいかに質素で日本の子供達のために汗水を流し > ていたかは、井上ひさしが証言しています。「モッキンポット師の後始末」な > どが参考になるかもしれません。 そのとおり、モッキンポット師のもう一作のふたたび というのを 合わせて読むととてもおもしろい。 第1作目で 「私」が仙台の孤児院から マルセルプティ修士の署名入りの 紹介状をもって 聖パウロ学生寮をたずねるところなどは マルセルプティ元校長が健在なだけに 実在の人物登場というところだろうか。 なお、モッキンポット師が大阪弁を使うブラザーでフランス人という設定が おもしろく聖パウロ学生寮は実在しています、 おそらく ラ・サール会が経営していた 聖パウロ学生寮のことだろうとおもいま す。 とはいえ、実際と小説はどうだったのかは知りません。 それと大阪弁つかうモッキンポット師が 松岡氏の大阪弁とよく似ていて なんとなく 何人かの今のネットの人間を あの学生たちにあてはめると そっくりなので、一度 松爺の後始末 というのでも書いてやろうかと 思ったのですが、先に建築探偵をやってしまった。 > *なお、キリスト教の中にはきちんと禁酒を守っている宗派もありますが(主 > に新教=プロテスタント)、ローマカトリックは禁酒ではありません。私個人 > は「お酒は嫌い」なのですが、いつも「お酒に好かれて」困っています。 > (つぶやき、ここまで) でも後藤先生、、誓願したら、修道院にはいって あとはバターを一生懸命つくるな どのそういう修道会もあることだし、いろいろですよね。僕らのころは聖杯には何か 赤い液体をいれたように覚えていますし、聖餅はプラスチックで代用していたよう な。。 とにかく ラ・サール会は あっさりしていてあの聖堂なんか、プロテスタントのよ りも質素というか簡素ですねえ、母校にパイプオルガンくらいあっても良いと思うの だけれど、 管理と誰が弾くかで大変でしょうね。。 あ、そうだ、最近、、仙台の修道院では チリとか南米系のワイン 廉価がのまれる ようですが、ヒルの食事時に出たワインをさっさと抜く80才越えたブラザーの手つ きみると すごいとおもうし、ワインのつぎ方などは もう the best ただし食事は クッパ丼? お好み弁当に メロン お茶、茶菓子で もう満腹でし た。 誰かが 買いにいったそうです。 後藤先生 写真部でしょう カメラと広角レンズと 接写レンズもって訪問してみて ください、 大友Broはよく覚えておられました。また服部管理人のことにも触れたらよく覚えて おられました。記憶のよい方です。管区長は 日本語が達者で、メキシコ人がボクの 時には 2人、、おそらくもっといるはず ケベック人はマーク先生、日本人は 2 人のようです。 みなさん、達者でした。 では また。 Date: Mon, 12 Sep 2005 19:01:42 +0900 From: Masamichi Goto Subject: [LOCALMTRET:046226] Fw: 建築探偵 鹿児島谷山もの その48 3人のマルセル To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) 後藤正道@三毛先生の「メール転送係」モードです。 ==== 以下、チョキチョキ ==== Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その48  三毛です。 「3人のマルセル」 母校の発展に関与したのは マルセル先生たちとは誰でもしっている 複数のマルセルがいた。ちょっとその点について書いてみたい。 1.例の校章の「手裏剣」マークだが、あれは ある本を読むと マルセル修士が  ベルギーの何かの紋章を参考に作ったとあったので、てっきり 初代校長のマルセル プティ先生かとおもったが、実は 全然異なった。 あの手裏剣マークは国内のラ・サール会の組織 養護施設 2つの教育機関、同窓会 のロゴマークなどにつかわれている。 あれが 国際的に通用するかというと 実はNOなんです。 海外にいくと ラ・サール会の経営する教育機関は 大学医学部 士官学校の予備校 ? 男女共学施設などさまざまで 鹿児島のイメージだけしか わかない このMLの 人たちには意外だろうが、それぞれで 校章は異なる。 で、元校長のお話だと 戦前にマリーマルセル修士が ラ・サール会の紋章に似せて デザインしたのをつかっているという。戦前 少なくとも4人のケベック人の修士た ちがカナダから函館にやってきている。そのときかもしれない。 だが、ちょっとひらめいた、実は ラ・サール会の本部は戦前のある時期 いまの ローマではなく ベルギーにあった。だから、ボクが読んだ本では マルセル修士が  ベルギーの何かに似せて作ったというのはつながりがあるとおもう。 ・ラ・サール会の公式紋章 http://www.lasalle.org/ClipArt/Color/seal.jpg ・国内のラ・サールの共通紋章? 丸枠の中に各地の地名などが ローマ字ではいる http://www.lasalle.ed.jp/ ここのTOPページの左端の中央にちょっと斜めにでている、 これをよく手裏剣がわりに遊ぶのがいた。海外では通用しない。 デザインが マリーマルセル修士 ということで 一人目 マリーマルセル修士@校章をデザインした人 2.グランマルセル修士、通称マルセル爺 この人口数すくなくいつもにこにこし て、用地買収とか校舎建物設計施工などを やっては次のところにいって またやっ てくるという独特の好爺だったらしい。すでに ある程度の年齢で日本にやってきた ので、初代校長のマルセル先生とは勘違いしやすいが、帰天されている。まるで 水 戸黄門の 風車の弥七の母校版、かつ おそらく 不動産や建築の知識があったに違 いない。調べた範囲では 日本で帰天されていた。彼がやった業績 つまり数々の土 地買収 校舎建設によって僕たちの基礎ができあがったと書いても良いと思う。 こ の人が例の田園調布のフランシスコ会の修道院で 赤い車にのり 運命の出会いをし て、北九州まで来た物の 候補地はすでに アサヒガラスに買収されて、 なんと  鹿児島までやってきて 例のブラザーハウス(レンガと木造の両方に敷地5000 坪)を 買収交渉した人である。 この人も ラ・サール会における 「ルネッサンスマン」だろうとおもう。 開校前に活躍したと言ってもいいくらいだろうか。 残念ながら在校時のボクはお目にかからなかった、というか 入れ違いで 帰天され ていたはずである。 3.マルセルプティ修士、初代校長である、2人と同様にケベック人で いまでも、 ご健在@ケベックと聞いている。若いときに日本にやってきて 最初は青森の公立学 校の経営をラ・サール会がまかされ ミッションにでかけたが、戦後荒廃の時期で  教師のストライキとか 約束の運営も 公的財産をどうして 修道士がするのか、と の世論などで、おられずに 仙台にひきあげている。 そして、鹿児島にラ・サール 高校が開校となり、32才の若さで着任してきた。 到着のときは 西鹿児島で 大 歓迎を受け 南日本新聞記事に載ったほどらしい。 開校式は いまだに記録が残っていて Best among the best という名言を述べ られた。 生前の松岡少年の手記には 若い校長 ストイックな精神などと書かれている。また  開校のとき 工事が順調にいくように職人にたばこをくばるため 大量の物資をカ ナダから取り寄せた。その箱には 名前の略号のMPが印刷され 英語の憲兵と勘違い されて 箱たちは最恵で 鹿児島まではこばれ 職人さんにたばこを渡したとか、昼 ご飯の弁当はみんなが食事にひもじいときで お弁当チェックをしていたらしい。お かずが足りないと 食べなさいといって何か 入れてくれたらしい。だから、あの松 岡氏も絶大なる評価をしたいた。 開校1年目は 英語の猶野先生が朝礼の通訳をし、2年目は修士になったばかりの元 校長の大友先生が通訳していたらしい。 ボクが在校時に 鹿児島に戻ってこられさっそく茶道がいるとのことで、茶室を  プールを池に見立てて プールのそばに本格的なものを建ててしまった。授業は英語 を習ったが、あまり記憶にない。 だって州に1回だったようにおもう。高校2年の ときだった。そのころはなぜか茶道に凝っていたように見えた。ちなみに今の管区長 も茶道が大好きのように、見える。 この方も 分類上は 外国人宣教師になるわけだが、戦後日本初の 外国人宣教師の 仲で業績が叙勲を受けている。 これら 3人のマルセルのおかげで 今の母校はあると言えるだろう。 いずれ 翔ぶが如し というのを投稿予定だが、その翔ぶが如しに加わるのが マル セルプティ修士とグランマルセル修士になる。 では つづく 三毛 -- ======================== Masamichi Goto 後藤正道 masagoto@mb.neweb.ne.jp ======================== Date: Wed, 14 Sep 2005 20:39:24 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046244] 建築探偵 鹿児島谷山もの その48 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その48 みけです、明日は 肝心のブラザーハウス 落成 75年目です、 この三毛。浅知恵を出しました。 さきほど 現在の校長にホットライン。 明日はなんの日かを 言いましたら、 ちょっと待ってくださいといって メモしてくれました。 明日が ブラザーハウス落成 75年目で 落成したのは 1930年9月15日です、 上海経由でカナダからレンガを輸入して作られた といいましたら、書き取られていました。 そして世間話、 修道院は 全生徒を見守るもので重要なものだから 明日の朝の職員朝礼でも、 生徒への全員朝礼でも、 ブラザーハウスの歴史にふれてみたい と 言ってくれました。ものすごくうれしかった。 現在の校長は古い建物をきれいにして すみ続けるのに愛着があるようです。 最後に お祝いの祝辞とともに お祝いのワインを欠かさずに、、といったら 電話のむこうで にっこりしていました。 明日は 母校の同窓会のネットに 75周年記念企画をアップする予定ですが、 要するに いままでの投稿を後藤先生にまとめてもらって それをテキスト形式にして URLに乗せるだけです。 申し訳ありません。同窓会のみとしますので、その点ご了解ください。 とはいえ、みなさんは このシリーズで ずーと読まれているのだら ログと一緒とおもってください。 在校時 元校長が 卒業したら 40代になると同窓活動をさかんにすると述べていましたが なんとなくわかります、いまの僕がそれなんでしょうね。 では、今日は運転免許の更新もぎりぎりでできたし めでたしめでたし。 失礼します。 Date: Thu, 15 Sep 2005 07:19:04 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046246] 建築探偵 鹿児島谷山もの その49 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その48 三毛です、待望の9月15日を迎えました。 もうすぐ体育祭で 学校は忙しいらしい。 現在のホセ校長はいつでも ブラザーハウスに来てくださいと 僕にいいます。 この方 結構おしゃれな人で 真っ赤なネクタイなんかを 鹿児島のダイエーで 買ってくる、それもつつましやかに1000円のものという いかにも 修道士そのものです。 修道服を着ているのをみたことがありません。 いつも背広 結構おしゃれなネクタイ。 昔はLARKを吸い、マティーニのんでいましたが、いまは 日本語が通じて 介護にも忙しいらしい。 年老いたブラザーの面倒を一所懸命にみていながら、質素な生活して おしゃれして、 とても まじめな人である。ケベック人たちが 来なくなったいまでは こういうストイックな メキシコ人に 日本のラ・サールをみてもらうしかない。 どうして メキシコ人になったのかはいずれ書きます。 というよりも モントリオール管区から メキシコ管区に変わってしまった。 現在 欧米人の宗教離れは けっこう 若い人にひろがり、請願者が少ない、 つまりどこの修道会も 特に日本はなり手がいないのが現状で、 ブラザー シスターの高齢化をまねいている。 その世代交代をみてきたのが 今日までのブラザーハウスである ホセ校長は学校紹介のDVDには ブラザーハウスをうつしてあります、 あれは全生徒を見守るものなのです。と言っておられた。 生徒どころか 同窓生全員が見守られてきた。 あと 僕の研究に賛美をあたえてくれた 山口氏には感謝します、 いままでいろいろな医学をしてきましたが、 そのどれよりも 研究としては自由で 誰もしておらず 多角的でおもしろい、」 この研究 やりおえたら、僕には自分の老化しかないのかな、、 と おもったり、 もし 医学でこのような研究手法をとるとしたら、きっと疫学というのが こういうフィールドワーク、聞き取り調査なんだろうなあとおもいました。 さいわい、 おととい 3月30日に 研究調査のきっかけとなった 故平修士 フランシスコ会の 本をいただいた アメリカ人神父さまから メールがとどき あの本のおかげで 大作の研究エッセイができています。 印刷して送りますと 返事しました。 今は東京におられる 前もってお約束したら、 面会してくれるそうです。 とても楽しみです。 神父 修士(ブラザー) シスターが面会してくれる 最恵してくれるというのは 非信者ながら、幸せです。 Date: Sun, 18 Sep 2005 14:22:35 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046253] 建築探偵 鹿児島谷山もの その50 翔ぶがと如し To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その50 三毛です。 さて 創作の秋、話を進めましょう。 自分の病気のために 膨大な資料を読む時間、整理しなおす時間がとられて なかなかできません。でも忘却する前に記録をとどめねば、、 今回は戦後の混乱期に現れたカナダ人とそれに共鳴した薩摩人たちの まさしく昭和版の 翔ぶがと如し について 司馬遼太郎さんの 翔ぶがと如し という小説があるが、僕は母校のある時期に そのような薩摩人の血が騒いだ時期があるとおもう。 ここで話は松岡氏のメモにかえるが、戦後彗星のように現れた敵国でもない カナダ人、むこうが金をもって 貧困の鹿児島にやってきた それはチャンスと おもったという風に読めるメモ。 そこには 当時の鹿児島が 貧困、いや日本が貧困、そして、男女共学を嫌う 親たちの 男女共学への不安などが書かれていた。 また 多くの資料やインタビューによれば 全国的に、まず 教師が戦死などで、 まともに授業ができず、すべてに疲弊しているのが教育界で、かつ 戦後民主化で 教師といえども、熱烈な労働運動などが教師におきて どこでも、学校そのものの 活動ができない状態だったらしい。 そんな中 当時のブラザーハウスの管理人だった 七田神父は なんとか鹿児島の 教育をたてなおすのに、ブラザーハウスをふくむ広大な敷地と フランシスコ会の 意思の継承に 奔走していた。 赤い車で書いたとおりの運命の出会い、その後の瓢箪から駒の如しで ラ・サール会が鹿児島にやってくると決まってから、当時の薩摩は燃えたようだった。 手元に 資料が今ないが、どうも数人の薩摩人とある公職の日本人が マルセルプティ修士と グランマルセル修士が参加して、ラ・サール版の 翔ぶがと如し いや 戦後の薩摩の翔ぶがと如し が行われたといえる。 どうも参画したのは カナダ人以外に 井畔初代副校長 野田顧問 七田神父 すったんこと山口志摩男氏などの薩摩人と 官選知事の重成氏であった。 学校創設には申請から半年かかるのが当時の相場だったが、あっという間に 通ってしまった。追い風が吹いたのと、敗戦国の中 戦勝国になるカナダ人の 申請とあって 皮肉か 幸運か ものすごく勢いよく 学校創設が行われていた。 教師の選考も 同時に行われたらしい。薩摩全土から ベテランや気骨にあふれる 薩摩人教師が 選ばれたいったふしがある。 私が在校した 開校20年目くらいから 25年目くらいまでには それらの 諸先生方がまだ 健在で、独特の気風が感じられた。 何回も会議が少人数で開催され 綿密に計画は進み、 また 追い風になるのが南日本新聞の記事であったらしい。 半年で開校に間に合わせるために江藤右三郎氏が 薩摩の中でえらばれ、 当時のブラザーハウスの改築と セントヨゼフホールの設計施行が行われた。 すべての歯車がかみ合い、明治維新で見せた薩摩人の翔ぶがと如しが 再来するように僕は感じた。 きっと貧困と廃墟の中から 明日の日本、未来の日本に 教育で期待をかけた 気風がうかがえる。 多くの追い風が吹き、南日本新聞の記事などのおかげで まず現在の2期生の募集が行われた 約3倍の募集率で 県内各地から 生徒が入試をうけにきた 試験実施は 純心学園。 あまりによい生徒があつまるが 校風をつくるために 始めに1期生があるべきと 井畔初代副校長と野田顧問の2人が話し合って、 1クラス分にあたる1期生を その後 募集した。 約3倍の競争率 それに応募して合格したのが松岡氏であったのである。 彼らは2期生の模範となり、初代校長の言うとおりに ベスト アマング ザ ベストと ファミリースピリットを守り 伝統の第1歩を歩み始めた。 それが 開校半年前の秘話というか 翔ぶがと如し になる。 生前松岡氏は どうして鶴丸から ラ・サールに編入したのですか という僕の素朴な問いには そりゃキミ 僕は谷山だから、としか 答えなかったが きっと 翔ぶがと如し に参加しようとする 薩摩人の血がさわいだのだとおもう。 それが 昔も戦後もあった 今もあるはずの 薩摩の気風である。 翔ぶがと如しの合議に参加した人はすべて(マルセルプティ修士のぞく) 鬼籍にはいっているので あらためて 故人の栄誉をたたえるために 詳細な人名を書いて後日投稿したい。 今日は秋晴れだ、きっと 翔ぶがと如しが始まったのもこういう秋晴れの 半世紀以上前の薩摩の地であったと想像する。 では つづく Date: Sun, 18 Sep 2005 14:58:25 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046254] 建築探偵 鹿児島谷山もの その51 トリビアの泉 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その51 トリビアの泉 三毛です。 トリビアの泉 7月はじめ 元校長をたずねて仙台に行った。 元校長は大歓迎してくれた ただ ひとつ 自信がなかったのが 元校長の証言を一人で聞いて こうやって発表しても 誰もが信頼してくれるかどうかである。かといって ビデオまわしたり 録音するのは ブラザーである元校長には失礼でできない。そこで 仙台在住の同窓生である 山口慶一郎氏に同伴を願った。山口氏は 快くつきあってくれた。 10個くらいあらかじめ 建築探偵として 箇条書きにした質問を あらかじめ送信しておいた。 1日目の夜は 夜遅くまで僕一人だが 元校長とお話できた。 驚かれていた。あまりにも よく僕が覚えているからである。そして すらすらと調べ上げたことを述べた。翌日、山口氏が同伴してくれた。管区長も 歓待してくれた。 あたらしくできた仙台の聖堂やブラザーハウスを見学して それから 元校長からお話を 2人で聞いた。 元校長はよほどうれしかったらしく、ご自分のプライベートアルバムをわざわざ見せてくれた。 そこには 例の1887年のシプリアン修士のお墓の写真や いろいろな写真がうつっており、快く デジカメで撮影するのを承諾していただいた。また 記録は 史実は きちんと伝承しなさいと 言われた。 その中には ガリレオ事件のこともある。 母校が週刊誌に出て 全国区になった 悪名?高い事件のことであるが、これも、きちんと伝えなさいと真相を聞かされた。 元校長はブラザーである 決してうそをつかないので 信頼できると思うし、僕は 「意外な人」と思われているらしい。 心地よくいろいろなことを答えてくれた。 どうして 校名が ラ・サールと決まったのですか?誰がなぜ ほかの国内の修道会のように漢字2文字にせず わざわざ Lから始める日本で唯一の校名にしたのですか?? という 本当に単純な問いである。 実は ラ・サール会は世界中に約1000くらいの 教育機関を持っているが、ラ・サールと名乗るのはごく一部である、 セントヨゼフとか ほかのミッション系の名前で 学校運営しているのが常であるし、 国内の多くのプロテスタントや カトリックの学校も 修道会の名前をとらず 漢字2文字で校名を命名しているところが ほとんどである。それを どうして Lから始まる ある意味 奇妙な校名にしたのか、 てっきり 開校時に初代校長のマルセルプティ修士が名づけたとばかり思ったが、実はそうではなかった。 その名づけに関与したのは 薩摩人でもない 日本人という。 思わず、山口氏とわたしは 元校長の前で失礼ながら、 へえーーーーー へえーーーーーーー とトリビアの泉をしてしまった。 翔ぶが如しに参画したとおもわれる非薩摩人の 官選知事の重成氏だそうだ。 初代校長のマルセル修士に 買収に活躍した グランマルセル修士たちは 漢字2文字でいろいろと考えていて なかなかきまらかったらしい。そこに知事の鶴の一声で そんなのだったら、いっそ ラ・サールにすればよいでしょう というアドバイスで 決まったらしいと 聞いた。 おもわず トリビアの泉である、 へえーーーーーー へえーーーーーーー を 山口氏と私は 言い放ってしまった。 だが 少なくとも建築探偵の端くれである。元校長も あとから とぶがごとしに参加した人間で 現場にいた人というわけではない。 調べた 調べている、とぶが如しに 参画した人のご子息に連絡とってみたら、 どうも 初代副校長の 井畔氏も同様に提案したらしい。 さらに 調べると 校名の由来は かなり古い南日本新聞の記事にあるという。 残念ながらそこまで調べるツテも 時間もないが、トリビアの泉には違いない。 ちなみに 8月 たまたま 現在の母校の校長に会う機会があり、校長に聞いてみた 「どうして 誰が ラ・サールと名づけたのかは ご存知ですか」 校長は いいえ 知りません。と言っていた。上記に述べたことをすらすらと言うと 驚かれたいた。 これだから、建築探偵は やめられない。ライフワークになるか この秋で最後まで たどりつくか これからも いくつものhillsに のぼっては 丘の上でそよ風にあたり、 次の丘をみえるようになるかもしれない。 ここで文学の秋に1句   丘を待つ そよ風吹きて 次の丘 では この辺で Date: Wed, 21 Sep 2005 08:15:26 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046280] 建築探偵 鹿児島谷山もの その52 紋様 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) 三毛です。 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その52 紋様 ブラザーハウスはいまも昔もおそらくできたころの写真で詳細にみても、 屋根の側面には 独特の紋様がある、 丸いまどの装飾は どこかの教会と類似、別段 とりたてて 言うほどではないとおもう。 それよりも、屋根の側面である。 UUUUUUUUUUUUUU というのをひっくりかえしたのが 斜面にならぶ。 これが 不思議だった ほかの 国内の教会にはないし、 海外の有名な教会でも見たことがない。 以前アッシジの三角おやねは アッシジの情操部と類似してるとかいたが、 アッシジの大聖堂の下側は そこれそ 基礎工事のためか UUUUUUUUUUのさかさまの連続である。 こいつを きっとアッシジを知っている カナダ ケベック人が 1930年の落成に まにあわせるように装飾したのに違いないと 最近おもいはじめてきた。 この仮説 80歳をこえたブラザーに聞いてみたら 行った事はありますが、 そんなこときづいたこともありません。 でも 建築ってそんなものですよ。といったら 目を丸くしていた。 ついでに 書くが かつては 東京都渋谷区代々木で ラ・サール会の修道院があった、 1970年ごろに 移転したが、もともとの建物は 借り受けたものらしい、 偶然その写真をみたとき、イギリスのチューダー調の 建物ですと言うと 高齢のブラザーは 三毛さんは 建築をよくしっているねえ、、と ほめ言葉?を言われた。 では。 Date: Fri, 23 Sep 2005 14:16:56 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046304] 建築探偵 鹿児島谷山もの その53 5つの謎 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その53 5つの謎 みけです、 以前、犬の話題で Qについてふれたとおもう QUQUITRIX という ♂?の犬がブラザーハウスにすんでいた。 この飼い主は 母校ではもっとも英語が堪能で カナダ人の 中でも なぜか アメリカ人らしいという ちゃめっけたっぷりの BRO グレゴリーだった。 BROグレゴリーは もう 20年以上前、サハリンで帰天されたと かけば 意味わかるだろう。僕はこの影響で いつも 海外、それも、西方向にでかけるときは アエロフロートに 乗っていた。 どうしても ミサイルで打ち落とされるような 航空会社にはのりたくなかったからだ。 このBROグレゴリーは ビートルズに いろいろな フォークソング それに 僕らを聖歌隊にでもしたいのか クリスマスキャロルまで タイプでプリントして 英語の授業をしていた。 もちろん、英語の授業なのだが、英語で音楽の練習しているような 一種独特の授業で 人気があった。また 本当にちゃめっけが あり、NEC NEW ENGLISH CLUBをやって そこでは モノポリーだの とにかく 楽しんで英語が学べるように 生徒を指導していた。 決して在校生は 影口をたたかないくらい 人望があり、ティーチングメソッドがご立派だった。 たしか 英語の教科書は 聞くところによると いまでも ミッション系でつかわれるという プログレスとかいうのだったと おもうが 僕は 歌と クリスマスの手前に 小説 「クリスマスキャロル」 をえんえん習ったのを 覚えている。 そして、このBROグレゴリーの授業に遅刻すると すごい英語の特訓がまっていた。 いつもとぼけたふりして どうして遅れる?と聞かれる。 そうすると 誰かは おしもを手でおさえて I went なんて馬鹿な応対をするが これまた英語で漫才しているような 展開になり、当事者は 必死になって英語で解説させられたが、 上手に 英語で対応したいた。 また ドリフターズが好きで加藤茶の アブダカダブラという 開けゴマのことを 加藤茶が This is a pen というのを みていたらしく、楽しそうにその話をしていた。 いったいこの人 修道士になって 日本の南果てまで なにしに来たの??とある意味 みんな尊敬をもって 接していた。 そのBROグレゴリーの犬が 例のQUINTRIXである、 先日 英語に堪能な日本人に この語彙の意味を聞いたら 訳はないとのこと、 どうも某家電メーカーの発売したテレビの愛称で あの坊屋三郎さんが 外国人に 「QUINTRIX」と 発音させ、「あんた 発音わるいね」とやっていた という背景がある。 さて このQUINTRIX QUINTは 5をあらわす接頭語らしい。 じゃあ RIXは?? と考えたが、、まてよ。 TRIXじゃないの、、つまり TIRICKS なるほど 5つの謎か!!! とひらめいた。 そういえば このBROグレゴリーとQUINTRIX には謎が多い 1.どうして QUINTRIXは BROグレゴリーになついて 拾われてきたか? 2.どうして QUINTRIXは BROグレゴリーが わざわざ 高校入試の   問題として出題したのか? 3.QUINTRIXは BROグレゴリーの部屋で BROグレゴリーと一緒にベッドで   寝ていたのだが、はあ??の印象である。 4.QUINTRIXのその後は? 5そして最大の謎はどうして 母国のカナダと日本の道中になんにも関係ない  大韓航空にのったのか?? 5の謎は先日 仙台の管区本部にいって お食事よばれたときに カナダ人のBROマークと 日本人のBRO大友が 不思議がっていた。 ましてや 卒業生の僕には想像もつかない。 メキシコ人の管区長は 生前のBROグレゴリーをしらず、 わたしと 2人のBROが はなす 日本語の会話をじ〜〜と 横できいておられた。 葬儀は母国のカナダでおこなわれたらしい。 葬儀後 実の妹さん夫婦が 鹿児島まで訪問したという。 また 聞くところによると 多くのカナダ人BROがいるが このBROグレゴリーは親戚にアメリカ人がとてもおおく もっともアメリカ英語に近い カナダ人BROだったらしい。 そういえば ほかのカナダ人BROは 英語をはなすが フランス語訛りだったようにおもう。 この人の5つ目の謎 つまり 撃墜死は その後 母校の大変化に つながっている、いずれ書くことにしている。 では。 Date: Fri, 23 Sep 2005 14:35:50 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046305] 建築探偵 鹿児島谷山もの その54 校長の主治医 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) 三毛です。 Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その54 校長の主治医 卒業して何年かして 母校を訪問したら、卒業証書わたして 卒業式に 英語でりっぱなスピーチされた BROオーラスが 病死したという。 この校長は気さくな人で 自分の手帳には 英語 日本語 鹿児島弁をメモして 薩摩人と ダイレクトに接しようとしていたし どうも 褌を愛用していて ブラザーハウスの横の洗濯の干し場には どで〜んと 褌が干されたいたのは 誰もが在校生なら知っていた。 それくらい日本が好きだった人である、いや薩摩が好きだったのかもしれない。 この人には授業はならわなかったが なにせ校長である、 いつも朝礼は英語でおこなわれたいた。 校風が微妙にかわった。 また 本名は モーリスピカールといい、わたしの卒業証書には 半分は日本語 半分は英語で きちんと 校長の モーリスピカールの サインがしてある。 これは卒業証書を 国内でも海外でも 翻訳せずに最初から ハイブリッドでつくられているので、見る人が見ると 驚かれる。 この校長も 初代校長の マルセルプティ修士同様に 入学・開校するときではなく 卒業していくとに BEST AMONG THE BESTと書かれていた。 この校長 明るく陽気で独特だったが、なぜか 妙に頑固だったらしい。 自分が病気だったのに 医者にいかなかった。 医者にいったときは ご想像に任せる状態だったという。 そして その医師団は 同窓生で組織されていたらしい。 驚いた 調べてみたら 医師団の一人は このMLのメンバーなのである。 医師法の業務上守秘義務で 自分の診た患者については 決して 口外も情報公開もされない。 おそるおそる聞いたが やはり 口を割ってくれなかった。 でも、死は死、仕方ない。 この校長(実は 在職中 2回 校長職についている)は惜しまれて かなしみとともに 生徒から見送られて 帰天された。 いまでは 丸いレリーフが 玄関の横に はめ込まれている。 この死も その後の母校の大変化につながっていっている では また・。 Date: Sun, 25 Sep 2005 20:27:51 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046309] 建築探偵 鹿児島谷山もの その55 スクールカラー To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その55 スクールカラー みけです。ふとおもったこと。 昨今甲子園などを見ていると スクールカラーというのがあるが そういえば 母校にはいっさいがっさい そんなものはなく、 白地に黒い校章ですべてがすむ、 果たして何色がいいのだろう 実家の自室を整理していたら 赤地や黄色地に 黒の校章をあしらった フラッグがあったが、一過性だわなあ。 では。 Date: Sun, 2 Oct 2005 20:19:59 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046382] 建築探偵 鹿児島谷山もの その56 フランス語 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その56 フランス語 三毛です。 高校時代 僕らの高校は 以前はフランス語が必修だったがその後授業はなくなったが僕の代には復活して 週に1回の選択だった。 とはいえ 取る人は少なかった。 たまに朝礼がフランス語であったが 当時の校長が 同時通訳していた。 朝礼がフランス語では驚かれるかもしれないが、本部からの 視察はたまにあった。 そのとき フランス語の朝礼であった。 東京の羽田につき そこから 日本の各地をまわって 南の果ての 鹿児島までやってくるのだが、その間、良い評判を聞くらしく、 視察に来られたBroは 上機嫌で フランス語で朝礼を行っていた。 開校当時は フランス系カナダ人(ケベック人)の 校長が 英語で朝礼していたらしい。 それを 英語の猶野先生が 通訳したいたという 開校2年目 その後の校長となった 大友Broが通訳の役割をしていたらしい。 その後 日本語 英語など いろいろな朝礼があったはずだが、 今は何語でやっているかは知らない。 現在の校長先生は メキシコ人である。 いずれ 書くが 私から見れば 超エリートで これだけの学歴と熱意を 持った校長は そう簡単に 日本でも 国外でもいないと おもう。 さて、そのフランス語だが フランス風の文化を持った初代校長は  元気で もう 88才のはずである。 1期生の松岡氏は 初代校長;マルセル プティ先生のことを 本当に敬愛していた。決してキリスト教をすばらしいとはいわず、 それよりも Broたちの ストイックな面を 好んでおられて ボクに話をしたものだ。その最たる人が この初代校長である。 カナダで余生を暮らされているのは なんとなく知っている。 1974年 このBroに英語を習っている。 少なくともボクにも縁がある そうだ、ひとつ忘れている。この1期生の死を 初代校長に 伝えないと どうも 供養ができない気がしてきた。 で 探しに探した。 とりあえず フランス語で 引っかかった。 読めない でも、読書百辺意自ずから通ずで なんとかなるとおもったら なんとかなった。 http://www.delasalle.qc.ca/echos/Ech-1310.pdf#search='la%20salle%20marcel%20petit' 先日、偶然、KAGOSHIMA de La Salle でカナダのサイトを検索。 初代校長の Marcel Peti先生らしいのが引っかかりました。フランス語である。 Anciens eleves de La Salle Kagoshima Frere Marcel Petit recevait recemment une carte d’un ancien eleve de La Salle Kagoshima. Celui-ci lui donnait quelques renseignements sur d’anciens eleves de cette ecole fondee par notre frere Marcel en 1950. Frere Marcel n’a pas trop mal reussi, puisque plusieurs anciens eleves de ce college occupent maintenant des fonctions importantes dans la societe nippone : - Gouverneur de la prefecture de Kagoshima - Nouveau maire de la nouvelle ville de Kagoshima - Ministre de l’Education du Japon - Membre de la Chambre des conseilleurs du pays - Directeur general de l’aeroport de Tokyo Frere Marcel est heureux d’ajouter que, parmi les anciens eleves de son ecole, il se trouve 2 000 medecins. C’est pourquoi il n’avait que l’embarras du choix quand, au Japon, il devait se faire soigner ! Ces quelques renseignements nous montrent l’importante contribution apportee par les Freres canadiens a l’education, au Japon, depuis les premiers Freres partis de Montreal dans les annees quarante. Communique 同窓生に訳を頼むと http://www.systranbox.com/systran/box を紹介されて 以下の貼り付けが帰ってきました。 Frere とは 修士 Brotherのこと。 Alumni of the Room Kagoshima Frere Marcel Petit recently received a chart of an alumnus of the Kagoshima Room. This one gave him some information on alumni of this school rested by our Marcel brother in 1950. Frere Marcel too badly did not succeed, since several alumni of this college occupy now of the important functions in the company nippone: - Governor of the prefecture of Kagoshima - New mayor of the new town of Kagoshima - Minister for the Education of Japan - Member of the Room of the conseilleurs of the country - General manager of the airport of Tokyo Frere Marcel is happy to add that, among the alumni of its school, it is 2 000 doctors. This is why it had only the embarrassment of the choice when, in Japan, it was to be made look after! This some information shows us the important contribution brought by the Canadian Brothers to education, in Japan, since the first Brothers left Montreal in the Forties. Official statement Kagoshima マルセルPetit の卒業生は最近Kagoshima 部屋の卒業生の図表を受け 取った。この1 つは彼に1950 年にマルセルの私達の兄弟が休ませたこの学校の 卒業生の情報を与えた。この大学の何人かの卒業生が会社のnipponeの重要な機 能の今占めるので、Frere マルセルは余りに悪く成功しなかった: - Kagoshimaの県の知事 - Kagoshima の新しい町の新しい市長 - 日本の教育のために世話しなさい 三毛注 文部科学省の大臣のこと - 国のconseilleurs の部屋のメンバー - 東京Frere マルセルの空港の総務部長は、三毛注 総務部長ではなく 空港の社長 職と思われる。 学校の卒業生間に、それが2000 人(三毛注 3000人以上のはず)の医者である ことを加えて幸せである。こういうわけでそれは、日本に、守る作られるべきだった ときに選択の当惑しか有しなかった! この情報は、40年代の最初の兄弟左のモントリ オール以来の日本で持って来る、私達に教育にカナダの兄弟が重要な貢献を示す。 公式声明 三毛注 「40年代」とは 戦後の混乱期の 日本の各地で ミッションをした ケ ベック人修道士・宣教師たちの活躍をさす。 つづきは ボクの拙文の英語を紹介することとなる Date: Sun, 2 Oct 2005 20:30:07 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046383] 建築探偵 鹿児島谷山もの その57 英語 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その57 英語 三毛です。 一生懸命に 88才の元校長 恩師の一人に メールを英文でかきました。 もう送信してしまいましたが、 ボクにしては とても馬鹿丁寧な英文です。 Dearest Bro Marcel Petit  10/01/2005 I am of the 25th graduation of Kagosihma La Salle high school and was a student in your English class at senior high school second year. You  might remember my name, MIKE Norio and class of 1976. I should report the sad news. of Mr.Matsuoka., who was the first Kagoshima La Salle boy, was dead at the end of last year because of lung cancer. I has been shocked because of his death. Before he died, he used to talk about you to me. I apologize for my late response because I did not know your email address. One of our alumni boy informed it to me. I was one of disciplines of Dr. Masami MATSUOKA (one of 1st. La Salle boys in Kagoshima). And I am examining the history of the brother house(s) of Kagoshima La Salle. It was built in 09/15/1930. So it has a 75years history. I would like to question and have email interviews on episodes before the opening of our high school and an ancient part of the history of the brother house(s). I reveal that Quebec Franciscans purchased a real estate in Taniyama in 08/17/1927 and they built a modern brother house. The brother house is the second one because I get to know the existence of the first wooden one which was possessed by Mr.Shimazu before Franciscans' purchasing. Bro Grand. Marcel purchased from Fa.Shichida after the world second war, who maintained the brother houses after releasing by Franciscans.. I have already reported Bro Otomo and Bro Jose. They are surprised at my examination. If you have some infomations on the two brother houses, I would like to hope you inform to me. I am looking forwards to replying to my email. May St.La Salle be with us. MIKE, Norio, M.D. 〜〜〜〜〜〜 あとで 恐る恐る英語の達者な人に添削してもらったら I am looking forwards to replying to my email. では 逆の意味になってしまうらしい。 とほほ 僕から もう一度書くことにした。 久しぶりに 丁寧な英語を書いて とても緊張した 最近のツールのスペルチェックは役に立つが どうも 単語だけ知っていて 熟語を知らない僕には 丁寧な英語は 無理なのかもしれない。 なんと 返事がかえってくるのだろう? それとも もう一度 こちらから書くべきか? どうやって 元校長のメアドを仕入れたか? そりゃ 国際レベルでの個人情報になるので ご遠慮いただきたいが、そういうのを 知りえるのも ひとつのミッションかもしれない。 なお、どうも80歳を超えてから 電子メールを 覚えたような この元校長。 あの松岡氏が 60歳超えてから PCをやり 電子カルテをやっていたが、その 恩師であるだけに スケールがさらに 大きいとおもった。 では Date: Sun, 2 Oct 2005 21:21:15 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046387] 建築探偵 鹿児島谷山もの その58 保存 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その58 保存 三毛です。 今夜 NHKのアニメ劇場をみていたら アンデルセンのマッチ売りの少女が 放映されていた。修道院がでてくる ほお これはゴシックだと 妙に 北欧の その景色に 感心した。 その放映のあとに レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」について その保存の歴史などが 短時間で紹介されていた。 この有名な絵を守るために 数々の苦労があったという 第2次大戦中は 直撃弾をくらいながら、その壁画は 万全の保護で助かったという。 残念ながら イタリアのどこの教会にその壁画があるのか 無知な僕はしらない。 さっそく検索したら NHKの詳細が http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/supper/supper.html ここに紹介されていた 「サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会」 ゴシックでもない ロマネスクでもない ビザンチン様式でもない。 見た瞬間 壁画よりも 建築探偵の僕には テレビでみたのと 同様に サイトで紹介されている この教会に 反応した。 1930年に建てられた ブラザーハウスの形そっくりなのである。 何様式というかは知らないが ルネッサンス期に関係するのだろうか?? 英語で renaissance man という単語がある これを ルネッサンス人と訳す人がいるが 誤訳である。 この本来の意味は 男性のみに使われ決して 女性には使われず 知力 体力 気力にすぐれ 信心深く 地球のどこにでも行く男を意味する フランシスコ・ザヴィエルも 該当するが 多くのケベックから来た フランス系カナダ人も 該当するとおもう。 きっと あの修道院 ブラザーハウスは 1920年代後半に 存在した ルネッサンスの作風を受けた ケベック人が 影響を受けて 設計したのかとおもう。 あと保存について NHKはいろいろと述べていたが 同様に 現在のブラザーハウスも その保存の歴史は大変だったとおもう。 かつては 外装が剥がれ落ち レンガがむき出しだったこともあるが いまじゃ メキシコ人の校長のこのみか、独特の色合いできれいに塗装されて 存在している。 NHKはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の保存にまつわるいろいろな 技法 絵の具のことなどを述べていたが、本来の存在があれば 多少の 色合いがちがっても当然とおもうようになった。 どうしてか? そりゃ 安らぎと 癒しがあれば みんなが喜ぶからである。 では  Date: Wed, 5 Oct 2005 22:26:20 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046407] 建築探偵 鹿児島谷山もの その58 つながり To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その58 つながり 三毛です。 今日は なぜかそわそわ 朝から 聖アントニオ神学院に記録がのこるという故人のアントニオ平修士の情報開示のために 電話していました。 電話先は そのフランシスコ会@瀬田@世田谷区の 聖アントニオ神学院です。 当面の建築探偵の調査の キーポイントとなる 石井神父さまにんに なんとか 電話連絡して 11月の飛び石連休に 建築探偵の調査にでかけたいので とにかく 事前に約束を。。。とおもって お電話 していました。 おそらくシスターとおもわれる やさしい応答で 不在とのこと 伝言を伝えました。 そのあと、なぜか、胸がさわぐ。 そうだ、フランシスコ会の サイトのゲストブックに 著作権クリアのことを 書けばよいとおもって http://www.ofm-j.or.jp/ に投稿しておりました。 午後持病の診断のために 遠方へ。 さして 異常なく 今後の活動もためにも、PCの周辺機器がいるから と思い PCチョップにより、ひさしぶりに 一人酒を のみに 呑み屋へ。 19:47分 突然 東京の電話番号から 携帯に電話がはいる。 なんと 会いたいとおもっているフランシスコ会の神父様からでした。 もちろん 酒は中断して、路上にでて 応対。 11月2日の件を伝えると ひとつ返事でOKとなり さらに 不在だが、 僕が必要だと言った 故アントニオ平修士の 著作を 数冊どころか 10冊もいただけると言われた。 しかも 引き取りに行くというと 送りますといわれる。 とても 恐縮した。 僕は 校長室 学校の図書館、仙台の管区の図書館 純心のOGたちへ 鹿児島や 奄美の信者さんたちが 読めるように 数冊でよいと おもったが 頂けるものなら うれし涙が出てきた。 あまりのうれしさに 「どうして そんなにしていただけるのですか} と聞き さらに あの本の著作権を 聞いたら OKだった。 というのも 「修道会のつながりですよ」 とお返事された。 その後 世間話などを 10分ほどして、 上機嫌で 携帯をオフ にした。 もちろん 一人酒は うれしさの涙酒になったのは 言うまでもない。 この本を見たがっている 仙台の引退されたBroや 現在の校長 (とても、この本の存在に驚かれている)の 顔が浮かんだ。 そして バックアップしてくれている 同窓生や 純心のOGたちに なんとか 「つながり」の持続を 感じた。 10月23日 ブラザーハウスの研究 調査のために 現地 鹿児島市の谷山に訪れ 現在の校長先生と 会う約束をしている。。 今から それを 手土産にもっていけるのを とても楽しみにしています。 あまりに うれしいので、関係者に 電話連絡して、 こうやって メールでの報告が遅れた次第です。 では。。おやすみなさい。 Date: Fri, 7 Oct 2005 21:47:27 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046442] 建築探偵 鹿児島谷山もの その59 やったぁ To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その59 やったぁ 三毛です。 本日とても重たい段ボール箱がとどきました。 送り主は フランシスコ会の聖アントニオ神学院の 石井神父さま ついに 本が手に入りました。それも 10冊。 本は 故人のアントニオ平修士の著作、「宣教師たちの遺産」 副題 フランシスコ会カナダ管区 という 1988年刊です。 これで調査研究が進むし 多くの人の目に公開できる。 うれしいので、さっそく 鹿児島の後藤先生が編集と複写をしてくれる手はずなので、 小包で送りました。 さらに、ラ・サール学園同様に 鹿児島地区の教育に貢献しているのが 純心学園です。そのOGが 服部管理人ご夫人になります。 純心学園も フランシスコ会の基礎から発展したものだと 本には書かれていますので、 伝えたいと思い、服部夫人に 伝令の役割をしていただき、小包を送りました。 10月23日 母校を訪問して 校長先生と会う約束をしています。 本を渡したい。校長室に1冊、学園の図書室に1冊。 あと、修道会の日本管区は仙台にあります。そこには 81歳の引退された元校長先生が住んでおられる。「僕もほしいなあ」と言っておられたので、お約束どおり 手渡すことにしました。 11月3日 横浜で 元校長先生が参加する同窓会があります。そのときに手渡していずれ 管区の図書室で保管していただきたい。 ほかにも 手分けして 鹿児島地区の信者さんの目にふれるようにしたいです。 では。 Date: Sat, 8 Oct 2005 21:32:48 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046454] 建築探偵 鹿児島谷山もの その60 宣教の歴史 To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) 建築探偵 鹿児島谷山もの その60 宣教の歴史 三毛です、 鹿児島には南日本新聞という地元紙があります。 そこの記者さんが、鹿児島と奄美の宣教の歴史を 記述しています。 某MLより。  手元に「聖堂の日の丸」(奄美カトリック迫害と天皇教)と  いう本があります。ラ・サール関連の記述も若干載っています。 http://www.nanpou.com/book/bok_027.html では。 Date: Fri, 21 Oct 2005 00:07:05 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046639] Re: 建築探偵 鹿児島谷山もの その59 やったぁ To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: [LOCALMTRET:046453] Re: 建築探偵 鹿児島谷山もの その59 やったぁ 後藤先生と僕だけが 同窓生で持っていることになります。 よろしくお願いします。 とにかく 戦前の鹿児島奄美地区の宣教の歴史がわかるとおもいますし ラ・サールと純心の2つの学校のルーツがわかるとおもいます。 三毛です、 純心の方は 服部管理人の 奥様が OGなので、 託しました。 相当 感激したらしく、さきほど、興奮されて 電話でお話しておりました。 本の名前、 宣教師の遺産 副題 フランシスコ会カナダ管区 1988年 戦前の純心のきれいな写真とか、 純心が 大島高等女学校として できた経緯とか ばがれも、大島高等女学校は 1.フランシスコ会が引き受けた 2.系列の カナダの無原罪聖母戦教会が ひきつぎ 3.さらに、カナダの聖名、ホーリーネームがひきつぎ 4、そして 日本の純心という修道会がひきついだことになります とはいえ、1と2の部分の資料が これほど 見事にそろった本はない。 大丈夫かな、、あれだけ 興奮 感激していて、、、、 僕は 内容を見て、理解して 純心に届けて、純心は純心として 自分らでやって頂戴 というスタンスです。 よその シマを あらすのはできないので、その辺はわきまえていますが、 やはり 御宝物には間違いない。 では。 Date: Fri, 21 Oct 2005 01:18:44 +0900 From: 三毛紀夫 Subject: [LOCALMTRET:046640] 建築探偵 鹿児島谷山もの その61 二人の神父さま To: localmtret@umin.ac.jp (LOCALMTRET-ML) Subject: 建築探偵 鹿児島谷山もの その61 二人の神父様 三毛です、 わたしの この研究 調査の原動力というか 糧をあたえてくれたのは 二人の神父様のおかげです。 一人目、、アメリカ人、名前は S神父。 教会の人とはわかっていたが、気のよさそうな人でした、 いろいろと話をしているうちに、フランシスコ会の 人だとわかり、 わたしが しつこく、 鹿児島の谷山というところに ラ・サールがあり、フランシスコ会が戦前建てたという 修道院があるのですが、なんとか 調べたいと 何度もいうと、 にこ〜〜〜 として わかりました。と 答えてくれました。 3月末、もう 東京に転任される。 う〜〜ん、、なんか 予感がする 転任する 直前に教会にたずねていった そしたら、三毛先生と 封筒に日本語で書いて 一冊の本をくれた、 それが、建築探偵が とても大事にしている 故アントニオ平修士著、「宣教師の遺産」− フランシスコ会カナダ管区 という 1988年だった。 いくつか 栞がはさんであって、これが知りたいところでしょうと 差し出された まさしくブラザーハウスだった。 この本とであえたのが、この シリーズのきっかけで、その場で直訴して もらいうけた。 1時間ほど 歓談して もう 会えないかな、、とおもって 別れをつげた。 後にこの人は 修道士 Broではなく、神父 Frと知る。 というか、わたしには カトリックの修道会は ラ・サール会しか 知らず、ラ・サール会には 修道士 Broしか いないことになっている。 そういう会なのである。 神父というものを知らずに この方と接していた。 会話は 3割は英語、7割は日本語、 その後、お礼の手紙をだし、メアドをしらせたら、ときおり メールを交換するようになった。 日本語、それも、とても、綺麗な日本語である。 ある日 六本木の フランシスカンチャーチセンターという在日外国人向けのサイトをみたら その神父さまがでていた。フランシスコ会独特の服をを着て、結婚式の立会いとか いろいろなことをしているらしい。  一瞬 われにかえった。 あの神父さまは 素朴で笑顔が絶えず、いつも 僕の相手をしてくれた。 メールで 遊びに来てくださいとあったので、 11月4日、ちょうど 休みにしているので、 遊びに行きますと メールを書いたら、午前11時にきてください。 お食事をしましょう。と書かれていた。 そのときは とにかく ふりしてでもいいから、キリスト教徒やって きっと 英語ばかりの ところなので、英語で お話して、 お食事を それも、質素に違いないものを 呼ばれるとおもうけれど、 とにかく 楽しみである。 まだ 渡された本が 研究に役立ち まさか ここまで 書きまくっているとは おもってもいないだろう。 きっと 説明したら、驚かれるとおもう。 楽しみにしています。 2人目、 まだ お会いしたことがない I神父、 日本人で、 僕が調査に行きたい 東京世田谷区の瀬田の アントニオ神学院の 図書館か、学院の責任者の神父様になる。 電話で 3回お話した。 本当なら、この夏 瀬田にいって、会って 自分の調べたい アントニオ平修士の 遺品をみせてもらうことになっていたが 夏休みは 自分が病で倒れていた、 9月、まだ 余裕がなかった。 そうこうしている間に 手紙をだしたりしていたら、 突然、携帯電話に 電話がかかってきた。 本をくれるという なんとお礼をいったらいいのやら、、 言われたとおりに 翌々日には本が到着した。 10冊。 あまりにも貴重な本なので、 1.母校の校長室 2.母校の図書室 3.よきアドバイザーであり ブレインであり、    画像処理のプロの 後藤さん、 この方はカトリック信者 4.純心にもっていってほしいから 服部御夫人に 5.仙台の元校長のBroがほしがっていたし、仙台のラ・サール会の   日本管区の図書室にはないから、こんど 元校長にあうので、   手渡して 管区でも保存してもらう。 6〜8. 鹿児島の教会、司祭などの図書室と 奄美の教会の信者さんへ、 9.本に登場し、純心とラ・サールに大きくかかわったM一族へ 10。各地の同窓会で 三毛はうそをついていないという証拠として   手垢つくのは仕方ないとして、 一般公開用に という具合で 決めてしまった。 3の 後藤ブレインは さっさか 複写をしてくれている。安心。 4の 服部御夫人は 感激して すごい本だと 言う。 1と2は 23日 鹿児島まで持っていって 校長に手渡す。 5も 11月3日に神奈川で 同窓会があり、手渡せる。 5〜8は 時間かけて 送り届ける。 9は 問い合わせ中。 てな具合で I神父の厚意でいただいた 貴重な10冊は 全部 僕の独断で 配布先を決めてしまった。 そうこうしているうちに、お礼に何かと おもって そうだ、 フランシスコ会が弾圧を受けた 鹿児島の本を送ろうと おもって http://www.nanpou.com/book/bok_027.html を 送った。 送る際、11月の連休に アントニオ神学院の図書館にいきますので よろしくと 一筆そえた。 これで ぬかりはない、しめしめ、、、、・ とおもっていた先日、 またもや 夜道で このI神父さまから お電話あり、 携帯で会話。 集中講義などで、東京におらず、その間は アントニオ神学院の 図書館は閉めてしまうらしい。 事前に知らせてくれた。 行くつもりで ホテルの予約から全部していたのだが、 仕方ない。 でも、是非、行きます どうしても見たいのです。 と 故人のアントニオ平修士の遺品で 現物を見たいという 希望を伝えた、 年明けたら もっと暇になる、行くしかないのだが、 さて、行けば、フランス語の大量資料。 どうなるやら。。 とにかく このフランシスコ会の 2人の神父さまに ずいぶん 助けられて ここまできていることは間違いない。 I神父が 「修道会のつながりというのがありますよ」と電話でいっていたが、 どうも、僕は フランシスコ会と ラ・サール会という2つの修道会の 目に見えない糸か なにかで、 手繰り寄せられるように、 この研究をしているように 思えてきた。 じゃあ、おやすみなさい。